『第四の館』 R・A・ラファティ (国書刊行会 未来の文学)
ラファティの作品は読んでもあんまり記憶に残っていないので、俺とは相性が悪いんじゃないかと思う。これもちょっと……。なるほど、わからん。
先に解説を読めばよかったのかもしれないが、キリスト教に何か関係がありそうということぐらいしかわからず。解説を読んでも、聖女テレサも『霊魂の城』も、そんなの聞いたこともないよという感じ。
〈再帰人〉はクトゥルー的な古き者で、パトリックはアメリカン・ゴッズ的な土着神かなとも考えていたのだけれど、結局のところ、そういうことではなさそう。
〈収穫者〉はいわゆる連接脳派(レナルズかよ!)の走りかとも思うのだけれど、もっとオカルティックだ。どちらかというと、テーブルについて降霊術で手をつないだ人たちのイメージ。『人間以上』のようなホモ・ゲシュタルトな進化というよりは、集団催眠の強化版。要するに、思考が繋がっている割には、参加者内での一体感が不足してるんじゃないかと思うのだよ。なので、小説内でもポジティブな進化というよりは、おぞましい仕業のように描かれているのではないか。そういえば、本物の悪魔バウボーはどうなったのか。あれはバウアーが悪魔的な思考にハマってしまったという比喩なのか、本当に悪魔だったのか。
一番わからないのはビディの父親のリチャード。彼は4つの勢力のどこにも属していないと思うのだけれど、いったい何者なのか。実は途中まで〈収穫者〉の中の一人だと思っていたので、話が合わなくなってしまった。しかし、ビディがリチャードの額から生まれたという話を読むと、思い出すのはなぜかエヴァンゲリオン(旧劇場版)だったりするのだよ。いや、キリスト教じゃなくって、ゼウスの額から生まれたアテナがモチーフなんだっけ?
4つのグループ、蛇、蛙、鷹、アナグマのイメージもいまいち理解しきれず。特に、マイケル・ファウンテンの演説の中で、蛙は雄牛のモチーフと同じとか言ってるそばから、戦いのイメージの中では雄牛が大蛇に変わったりするので、どこからどこまでが読み解きのためのモチーフとして理解していいやらよくわからないのが正直なところ。
そもそも、狂言回しとして出てくる同じ名前のミゲルとマイケルの演説は、なかなか興味深いのだけれど、どこまで小説内の真実を語っているのかが見えず、これも混乱の元。よく考えれば、同じ名前って同じ綴りなんじゃないのか、英語の本文だとどうやって区別してるんだこれ。ああ、MiguelとMichaelで綴りは違うのか。
まぁ、そんなこんなで、わからないからおもしろいという部分はあるにしろ、あまりにわからな過ぎて困ってしまう。