かっつん・あわー ~小さなアトリエにようこそ~

ヨコハマにある小さな絵画教室『あとりえカツヤマ』での生徒さんの作品や制作風景、自身の作品などを紹介しています。

能見堂跡へ

2013-06-09 05:39:16 | ちいさな旅
今回の散策もいよいよラストへ。 『谷津関ヶ谷不動尊』 に寄り道した後、坂道を登って 『能見堂緑地ハイキングコース』 の通常ルートに戻ります。



振り返れば今日歩いて来た丘陵が遠くに。
ここまでくれば終点 『金沢文庫駅』 ももうすぐですが、その前に 『能見堂跡』 を見ておかなければ・・・。
坂道を上がりきって、さらにやや小高いところに登ると、上に平坦な空き地が・・・



ここが 『能見堂跡』 。 今は何もないところ。 しかし江戸時代には



こんなににぎやかなところでありました。
近くに石碑があります。

 

“能見堂跡” の石碑。 簡単に説明すると、
『能見堂』の立つ地は昔の街道沿い。交通の要衝でありました。 そこに景色が良かった為でしょう、平安時代に藤原道長が草庵を結んだのが此処の始まりとか。 はじめは小さな辻堂でしたが、江戸時代に “地蔵院” が建てられて寺院となります。
『能見堂』 の名の由来は諸説あるようですが、よく見える (能く見える) からとか、平安時代の絵師、巨勢金岡 (こせのかなおか) がこの景色を描こうとして、あまりの美しさに描けず、筆を捨ててのけぞった (のけ堂) からなんて伝説的なものもあるそうです。
この 『能見堂』 その名の由来どおり眺望のすばらしい所で、この近辺に見られた優れた景色を「八景」様式に則って選んだ “金沢八景” にも上げられ、



さらに禅僧の心越 (しんえつ) がこの堂から見た景色を漢詩に詠んだことで一気に名が高まり、江戸時代の一大観光スポットとなります。 多くの文人墨客が訪れ、浮世絵にも名所絵として見られる他、江戸城の襖絵にも描かれていたとか。



歌川広重の描いた眺望図。 ここは当時風光明媚な入江が続く景勝地だったのです。

しかし、江戸時代後期に入江が干拓によって埋め立てられたのをはじめにどんどん都市開発が進んで眺望は激変。 他の便利な道路や鉄道も出来て交通も減少、 『能見堂』 本体も明治時代に火災で焼失、その後建て替えられることもなく、次第に訪れる人も少なくなって・・・ 現在に至っているそうです。

『能見堂跡』 ・・・ 時の流れを感じるところ・・・ 夕暮れにこの地に立っているとさらに感慨深いものがあります。



現在の 『能見堂跡』 からの眺め。 
これをもって今回の小さな旅は終了です。

今回私が通ったハイキングコースは “鎌倉” から “金沢文庫” までに連なる 『六国峠ハイキングコース』 の一部でもあります。 皆さんも是非。

コメント (2)
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