川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

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「日朝鮮半島の2000年」 NHK  後編

2009-10-04 18:27:18 | 知恵庫先生の講座
「日朝鮮半島の2000年」 NHK  後編
 副題:蒙古襲来の衝撃


蒙古襲来の朝鮮と日本の歴史を前編で紹介しました。
後編は芋太郎の独り言です。


芋太郎はどうしても、現在の中国の軍備増強・拡大路線とイメージが
重複する。
現代の「元?」による版図拡大がなされる可能性がある。
だからこそ、押さえておきたい大切な事がある。

以下、思いつくままに記載する。

1、情報の共有化と迅速な決断が不可欠。
  正確な「元」の動向が把握されないまま、朝鮮半島や南宋との協力体制
  が構築できなかった。
  侵略戦争への準備不足。
    
2、集団的な抵抗の力学が防衛には要となる。
  日本は台風で守られたのではない。
  日本を防衛したのは、高麗の民や三別抄の民族自決の誇りである。
  彼等の抵抗なくして日本は守られたかどうか怪しい。
  大越での抗戦も同様です。
  ここで大切なものは、民族の誇りと自立が支配層にも被支払層にも
  鍵である。元はそれを満足させられなかった。
  高麗の抗戦は悲劇で終了したが、それが新時代の幕を明けた
  ともいえる。

3、元と日本との間に当時も貿易は健在であったにもかかわらず、
  侵略戦争は行われた。
  経済的結びつきを過信してはならない。
  防衛は、周囲の連帯と協力が不可欠。
  事前の順位がなによりも必要。

4、当時の政権が武家政治であったことが偶然にも日本にチャンスを
  もたらした。
  平安の太平・貴族の時代であれば、満足の行く防衛戦争が遂行された
  可能性は低い。
  大軍をかき集められる力が当時の日本にはあった。

5、二度の侵略戦争に必要な兵站が準備できる経済力が日本に存在した。
  金と力がなければ、防衛戦争も遂行されない。
  

6、2回の防衛戦争は、神国日本の伝説を生む。
  それは、元の国威を見せ付けられた国民が偶発的な自然現象による
  戦勝を意識したものである。
  裏を返せば、元の驚異を意識したものでもある。

7、朝鮮・日本・大越での勝利は、なに求めるのか。
  まさに、国力です。
  人々の意思力の賜物です。
  民族を守り、自決し、平和を勝ち取りたいと願う気概です。
  
8、平和は与えられるものではない。
  平和を唱えれば、「元」は侵攻しないという保証はない。
  歴史がそれを証明していう。

最後に、日本の現代史は、朝鮮半島・日本・沖縄・台湾・ベトナム・
カンボジアなどの大連合の必要性を示す。
中国大陸を敵視しろという訳ではない。
政治は、常に先の先を考えるものである。

元と日本の通商が存在したように。
経済貿易の友好的活動は繁栄を相互に繁栄をもたらす。
しかし、経済だけで国の防衛はできないことを元寇は語る。
今からできることを始めなければならない。

追記
三別抄の活躍に感謝する気持ちが生まれてきた。
なお、沖縄で三別抄の痕跡が見られることは今後の歴史解析に
任せましょう。


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「日朝鮮半島の2000年」蒙古襲来の衝撃

2009-10-04 09:01:41 | 知恵庫先生の講座
蒙古襲来―転換する社会 (小学館文庫)
網野 善彦
小学館

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「日朝鮮半島の2000年」 NHK  前編
 副題:蒙古襲来の衝撃


本TV番組は表題の第三篇です。
蒙古襲来の実像を最新の調査と現地ヒアリングで作成されたものです。
文禄・弘安の役を中心に日本・朝鮮半島・ベトナムへ取材した
なかなかの番組です。

従来は、神風日本の自然偶発的な側面が強調される出来事とされ、
兎角、元寇の実像が明らかにされていませんでした。
日本への侵略以前の歴史が語られる事はなく、地政学的リスクを
日本人が学ぶ事もない教科書的な歴史から脱脚する内容です。

ユーラシア大陸の東西を版図にしたモンゴル帝国の実像とその影響力
を正しく認識する為にも、また、今後現れるであろう新帝国への
対応を考える上でも、是非、視聴する価値がある。

では、いつものように、歴史年代を追いながら芋太郎の感想を表記
します。

1、モンゴル帝国の版図拡大とその野心的狙い。
  フビライは、南の南宋・東の朝鮮半島高麗を狙い進軍。

2、1231年から、高麗は約30年に渡り、モンゴルの6回に
  亘る侵略に交戦します。
  優勢な元の地上軍を避けるために、王及貴族は江華島へ遷都し、国民は
  20万の死者を出し、農民・僧侶まで元軍と徹底抗戦します。

3、約30年の抗戦もむなしく、平定された高麗は、その富と人を利用する
  元の政策から、来る日本への侵略用の船舶・兵糧等に疲弊します。

4、高麗国王は再起をかけて、武力ではなく、民族の文化・信念を高揚
  させる戦術も取ります。焼失した八万大蔵経の復元もその一つ。
  しかしながら、元は着々と勢力を強化し、版図拡大と貿易経済の充実
  を図ります。狙いは銀。

5、注目されたのは、日本の金銀。1268年国書が日本に来ます。
  フビライの南宋との絶縁と貿易要求。高麗国王の添え国書も携えて。
  実態は、フビライの命で高麗国王が要請したものです。
  時の鎌倉幕府と調停はこの国書を完全に無視。
  当時から南宋の僧が時の相談役であり、正確な情報が日本にもたら
  されてないかったと指定される。

6、朝鮮半島の抵抗運動が激しくなり、日本への戦に支障が出ていた。
  三別抄の反乱は、元と朝鮮の民との壮絶な戦いとなる。
  「団結して国を守れ」を信念に、長きに渡りゲリラ的な抗戦が
  継続される。
  三別抄から日本への国書が発見されている。
  日本はここでも、国書を無視。

7、日本侵攻の目的で建造された軍艦による三別抄の済州島の戦いが
  始まる。ここに、4年の抗戦に終止符が打たれる。
  ついに、三別抄が軍門に下った。
  しかし、三別抄の抗戦は日本に充分とはいえないが時間を与えた。
  北条氏同門争うに終止符が打たれ、時宗は防衛戦を構築する。
  そして迎えたのが先の文禄の役であった。

8、文禄の役(1274年)
  元の集団戦法と火薬に圧倒される。
  元側の兵站不備等の理由で、退却。
  元の戦力と恐怖が当時の幕府を動かす。
  執権北条時宗は、元との戦に終生を送る事となる。

9、一方で、元は南宋への侵攻を進め、1276年ここに、南宋を滅亡させ、
  大元が成立する。元は飽くなき版図拡大を目指し、ベトナム・日本
  への侵攻を推し進める。
  
10、弘安の役(1281年)14万の大軍が押し寄せる。
  元・南宋・高麗の大軍である。
  土塁などの防衛施設と防衛軍の事前準備が効をそうし、進軍を留める
  事ができ、海上停泊させた意義は高い。
  台風による船舶の遭難に結びつく。

11、元は大越でも徹底抗戦に会い、大越・チャンパの連合軍に敗北する。
  歴史の流れに、ターニングポイントが現れる。

以上の歴史の流れである。
ここから私達な何を学ぶのか。
「ふ~ん」で終わったら意味がない。
後編で芋太郎の私見を申し上げたい。(続く)

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