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日曜美術館:英一蝶

2009-10-12 21:08:48 | 美の番組紹介
日曜美術館:英一蝶  NHK


元禄快男児のご紹介であった。(笑)

300年ほど前の1652年から1724年の江戸期、面白い画家がいた。
京都の医者の家で生まれ、江戸の狩野派を学び、一説には同派を破門
され、独自の世界を構築した伝説の絵師がいた。
絵師は島流しの刑を受けた後、将軍の死をもって赦免されて、英一蝶と
改名、江戸の人気者として江戸文化を開花させた一人となる。

本日の美術館はその人生を紹介していた。

狩野派で絵の基本を学ぶ。
それは、日本・中国画の模写や花鳥風月・竹林図を習得するものであった。
しかし、狩野派の枠を越えて独自の世界を生み出そうとした男には、世界が
狭すぎた。
その後、時の絵師菱川師宣の超えようと数々の美人像を描き、ようやく男の
独自世界を垣間見ることが出来たようだ。
その後の浮世絵に大きな影響を残したともいえる。

しかし、浮世絵ではなく男の独自の境地を描いた絵画が残っている。
それは、何の変哲もない風景の美しさであったり、躍動感であったりする。

男は絵師のほかに別の仕事をもっていた。
それは、太鼓持ち。
男芸者と呼ばれる太鼓持ち。
座敷お盛り上げるべく、全ての技能をそこに披露する縁の下の力持ち。
縁の下ゆえに、主役以外の人々の動きや人情の機微や感情が理解でき
たようだ。
それが、絵の世界を独自の世界とする原動力でもあったようだ。
一休和尚の図には、庶民の生活と人間の心が映し出されているようだ。
江戸の生活がそのまま絵になったような近親感と同時に人間賛歌の声
さえもが聞こえてきそうな絵画もある。

男は人生の絶頂期を前にしながら、流刑地に送られる。
大名へ散在させたことが理由という説もあるし、
生類哀れみの令を皮肉ったことが理由とされる説もある。
ともあれ、三宅島への流刑が10年以上の長期にわたる。

その間も男は数々の絵画を島のあちこちで描いている。
生活の糧を得るためもあったであろう。
しかし、それほどまでに有名で慕われた絵師でもあったといえる。
それは、江戸元禄時代の町民文化勃興期の力でもあったかもしれない。

将軍綱吉死去によるご赦免にて、江戸に帰参。
浦島太郎のごときとつぶやきながら、吉原を初めとした江戸の庶民生活を
描きつづけた。
73歳の晩年まで、描きつづけたこの男が英一蝶である。
なんとも逞しい限りである。
それは、江戸の逞しい文化、そのものでもあるように。

男の人生は講談「英一蝶干物便り」に語り継がれ、
その後も広く長く愛されつづけた。
ぜひ一度、男の作品をこの目で見てみたいものである。
「雨宿り図屏風」には、江戸文化の力強さと太平を感じさせる。


作品の紹介

「朝暾曳馬(ちょうとんえいば)図」
「四季日待図巻」
「吉原風俗図巻」
「雨宿り図屏風」


芸大美術館

英一蝶展―風俗画に独自の画境を開拓した元禄自由人の世界 (1984年) (江戸文化シリーズ〈5〉)
英 一蝶
板橋区立美術館

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