川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

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一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

「語学教育に一言いいたい」

2009-10-18 11:38:40 | 知恵庫先生の講座

「語学教育に一言いいたい」


最近、娘の英語の教材を見た。
その上で、小学5・6年からの英語教育の導入について疑問を持つ。


文科省の役人の狙いはどこにあるのか。
理解に苦しむ。
どうやら、日本語という素晴らしい言語を「ぶち壊す」ことが
目的のようである?
奥の院は用意周到ですからね。

このようなことを掲載すると、右翼と思われるかもしれませんが、
やはり教育の一環である以上本当のことを理解する必要があります。

中国では、近代史をそのまま共産政府に都合よく教えている事は
すでに承知の事実です。
北朝鮮も同様です。
自分達に都合の悪い事は教えません。
また、都合の悪い事は曲解して教える事も多いですね。

実は、日本でも行われています。
明治時代以降にマキャアベリ主義(西洋的な君主主義)が対応し、
エホバの神から現世の指導者ラビが絶対的であるようなフランキスト
・ユダヤ主義の教え。
早い話が、勝者の歴史しか教えない。
勝者は敗者を好き勝手にできる。

私達は、この教えに、違和感を覚える筈です。
歴史とは、そのような勝者の歴史だけでないことは明らかです。
しかし、このように考えるのは日本だけかもしれません。

第二次世界大戦に勝利した奥の院は、日本、日本文化を驚異と
考えています。
その理由は、いま申し上げた、敗者の歴史を認める国民性です。
国をまとめる重要な要素は、文化です。
そう、古き日本語を壊す事は、古き文化を継承させない事に
繋がります。

グローバリズムという美名の下、英語を学ぶ事の重要性を説き
ながら、返す刀で、日本語の切り崩しにかかっています。

おそらく、文科省の役人さんは、このような深謀な計画はお持ち
でないでしょう。
グローバル化には、英語が不可欠だ。
日本人は英語が苦手。だから、小学校で教えよう。
英米学者はこぞって賛成します。
そう、お金になりますからね。(笑)

でも、冷静に考えてみてください。
小学校で必要な勉強とはなんですか。

1、日本語のコミュニケーション能力の育成
2、人間相互の関係を構築する能力を身に付ける
3、自分や自分の考えを表現する能力を身に付ける
この作業がなにより大切ではないのでしょうか。


英語を話せても、「話す中身」がなければただのバカです。
違いますか。
話す中身があれば、伝える物があれば、語学は拙くても人間相互
にコミュニケーションは可能です。
語学を学問にする方々は一握りです。
普通はコミュニーション方法です。
中身を身に付けることが本当の教育ではないのでしょうか。
民主党にぜひ、改善をお願いしたいものです。


ちなみに、芋太郎は英語より独語です。
理由は、独語は自分で勉強したから。
英語は中学からの教育です。
仏語は大学からの教育です。
ともに身についていません。

興味があることと苦労したものは身につきます。
安心して、勉強しましょう。
語学は手段です。
目的にしたり、完璧な英語を目指すのは、
一部の方で結構ではないですか。
途上国の人々の英語、あれでいいのですよ。
アクセントや発音が多少違っても、話す中身があれば、伝わる。
必要なのは、人としての中身です。
小学校という重要な時期は、その学習に費やすことが大切です。


追伸
いま必要なのは、学生の英語教育ではなく、教師の英語教育と
補助をする外国人の方々の強化連携です。
英語を学ぶのは中学教師(科目に関わらず全員が対象)の方
でしょう。順番はこちらが先です。
教育は国家100年の計。

皆様はどのように考えますか。
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美の壺:少女雑誌

2009-10-18 10:16:11 | 美の番組紹介
「美の壺:少女雑誌」 NHK


「少女雑誌は明治時代に始まりました。」で番組が始まります。

江戸時代からある女性絵画としては、浮世絵があります。
近代日本は、欧米文化を取り入れて、脱亜入欧に明け暮れる
時代でした。
明治35年、その時代背景の中で、誕生したのが女学生です。
女学生をターゲットに最初の雑誌が創刊されました。
それは、女学生対象ですから、一部の階級の方々を中心として
広まります。

以後、昭和初期にいたるまで13誌が刊行され、少女雑誌は
活況を呈していました。

東京の弥生美術館で少女雑誌の展覧会が開かれております。
(10/1~12/23)
少女雑誌の芸術性が今、改めて女性たちに注目されています。
出かけてみてください。


<美の壺1:カバーガールの瞳の奥を見よ>


私の少年時代、姉がよく少女雑誌を見ていましたが、どうしても
あの眼の大きさが芋太郎には理解できませんでした。
姉は、全然気にしていませんでした。
これは、男性には理解できないかもしれないと薄々感じて
いました。(笑)

本日、番組をみて、改めて理解したような気がしました。


瞳の大きさに注目して時代考証がされます。

雑誌の表紙絵の少女像の瞳は明治から大正、昭和にかけ徐々に
大きくなっています。
なぜでしょうか?

明治38年の「少女界」の表紙絵までは少女の目が、線や点で
シンプルに描かれ、江戸時代の美人画の伝統を受け継いだ顔です。

大正5年頃には、竹久夢二の描く少女像が登場。
初めて瞳が開いて描かれています。
見開いた目で語りかけてきそうな、生き生きとした表情です。
 竹久夢二関連美術館は数箇所あります。
 都内美術館:

大正15年「少女画報」。夢二後、大きな瞳が主流になり、
高畠華宵の描く少女は、大きな二重瞼。
白めが強調され、あでやかささえ感じます。
高畠氏関連(愛媛の方へ)

昭和14年「少女の友」。
瞳は、昭和に入ると極端な大きさになります。
中原淳一の絵。
中原淳一関連ホームページ

大きな瞳が支持された背景には、理由がありそうです。
家父長制による女性の立場が背景にありそうです。
当時、自由な発言ができなかった少女たちが目で自分の意思を
主張している気がします。
自己表現への思いが感じられます。


<美の壺2:付録は夢一杯の紙の宝石>


付録も充実していたようです。
小さくても、かれんで精巧な手作業の技術を使った付録の数々。
少女たちが大切にした宝物は今日でも残っています。

「少女の友」昭和12年当時の付録。
「スーヴニール」思い出、と題された小さなノート。
表紙は、木彫りかと思う重厚な立体感。(厚紙を型押ししたもの。)
そこには、発行者の工夫と思い意や熱意が伝わってきます。

今では、中原淳一の絵と北原白秋など文豪の詩が描かれた
豪華なものです。
付録の最高傑作といわれる、「彦根屏風たとう」。
手紙や切手などを収納します。
国宝・彦根屏風をアレンジして作成。
どのような手紙を書いて、どのような手紙を受けたったので
しょうか。

採算を度外視した当時の編集者たちの、いい物を作り少女に夢を
与えたいという熱意が原動力のようです。


<美の壺3:誌面はちょっと危ないほうが面白い>


少女雑誌は「良妻賢母」を標榜する、一方で少女たちが抱く恋愛への
憧れに応えたつくりです。
昭和12~13年に連載された川端康成の少女小説「乙女の港」。
ミッションスクールを舞台に上級生と下級生が、「S(エス)」と
呼ばれる、友情を超えた関係をもつ物語です。
いわば、擬似恋愛の走りでしょうか。

今時の女性誌同様に、読者の中から選ばれた少女がモデルになり、
「乙女の港」を実演する誌面も登場しています。

しかし、昭和15年、少女雑誌は、軍からの圧力のよって路線変更を
余技なくされます。
家父長制度が彼女たちの口を硬く小さくし、瞳で語る時代をもたらし、
軍事偏重社会は、恋愛のテーマを抑圧し、戦時色に変貌します。
どうやら、歴史的にも、女性の言動を押さえる時代はあまり芳しい
時代ではないようですね。


つかの間の美の王国が少女雑誌だったようです。

私たちは、ここから何かを学ぶべきでしょう。
人が人を押さえ込む、男が女を押さえ込む。
抑圧の歴史。

しかし、それゆえに、芸術とはある意味存在性を増す?のか!
神の国に芸術はあるのだろうか。
天国にも芸術はあるのだろうか。
そこでは、大自然の美こそが芸術になるのかもしれない。

ともあれ、芋太郎が関心することは、このような古い宝物
が保管されていることだ。
転勤族の身には、どうしても羨ましい。
大切なものが次々と転勤の度に行方不明になる。
はやく、落ち着きたいものだ。

そろそろそんな年齢かもしれない。

レット・イット・ビー

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