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「美の巨人たち:晩鐘(ミレー)」
本日は、ジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」をめぐるお話。
ミレーといえば、日本でも有名であり、「晩鐘」のほか、
「落穂拾い」などで、小学生でも馴染みがある。
その「晩鐘」をめぐる非常に面白い話が本日のご紹介です。
番組では、興味深く、面白く説明をしてくれます。
私のブログでは、結論のみを記載します。
「晩鐘」をめぐる二人の有名な画家の賛否両論(パラノイア論争
を紹介しつつ、本当のミレーの魅力に迫る楽しい企画でした。
1、「賛成派」
代表はゴッホ。
ゴッホの言葉「あれは、素晴らしい。あれは詩だ。」
ゴッホは、数多くの作品をミレーの画からインスピレーションを
受けて、仕上げている。
それだけでなく、農民と同じ生活をして農民を描くことを目指す。
ミレーが「自然」をゴッホを引きあわせた。
ミレーの「鋤き起きこす2人の男」から「鋤き起こす男たち」
「種まく人」から「沈む太陽と種まく人」
を描き出している。
”画家の人間性・生き方を含めたものが絵である”というゴッホ
流の見解。
まさに、ミレーはゴッホの原点いえる。
2、「批判派」
代表はダリ。
ダリの主張の前に、当時のミレーの評価を確認しておく必要がある。
ミレーはゴッホに代表されるように、サンシエという広報活動者の
意図的な世論づくりに影響された前提にあった。
それは、理想的なミレー像を構築し、実像としてのミレーが描かれて
いないとのダリの意見にも一理ある。
ミレーはルーブル美術館の名画模写から始めた画家で、そのテーマ
は「働く者」。信仰心あるれ、清貧の画家としてのイメージ戦略が
優先されていた。
では、ダリの批判的意見に話を戻す。
”紋切り型の愚かしい絵画だ。”
”見るものの心に苦悶を生む。”
というダリの意見。感受性の鋭い、人と違うダリだからこその批判
であろう。
しかし、世の潮流は賛成派にあったようだ。
しかし、ダリはミレーが嫌いであったわけではなさそうである。
「晩鐘」を”死者たちの祈り”として批判しながらも、
「晩鐘」を題材に、2つの絵画を遺している。
「たそがれの隔世遺伝」「ミレーの晩鐘の考古学的回想」
批判すれども、惹かれるダリがそこにいる。
ミレー『晩鐘』の悲劇的神話―「パラノイア的=批判的」解釈サルバドール ダリ人文書院このアイテムの詳細を見る |
では、本当はミレーの「晩鐘」はどうなのか。
解らないといえる。
ただ、「晩鐘」で描かれた当時の農夫たちは、仕事の終りに、
”死者たちへ祈り」を捧げていたようだとのこと。
その意味では、ダリの予感は外れていない。
番組の解説では、ダリが自分の生い立ちを重ねて、農夫婦にダリの
両親を重ね、兄への偏愛をする両親への反抗心・愛を得られない
ダリの悲しみ・怒りが表現されていると見る。
兄を偏愛した両親を持つ二人の画家による両極端の意見の存在。
偶然にしては、面白すぎる偶然である。
いつもながら、絵画とは「奥が深い」ものである。
絵画の前に立ち、黙って鑑賞することで充分なのだろうが、
しかし、われわれ凡人ではその絵画の主張が聞こえてこない。
そんな意味で、このような番組は非常に面白い。
別の見方を2つ紹介してくれるからこそ、また面白い。
ぜひ、本物が見たいものだ。