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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

学校教育の側面(7回シリーズその2)

2013年01月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 教師の下、受け身として既定路線の詰め込み教育があり、常に答えが決まっている閉じた世界で、多くの学科で記憶力を求められた。薄々は感じていたが、教師たる者、指導の手引きに沿った一定の指導方針の下、相手が理解しようがしまいが、規定時間の消化に全力を挙げていた記憶が残っている。今思えば、教師の大変さもよく分かる。

 高度成長とともに経済が活性化し、欧米に対向する国力が生まれてきた結果、技術革新が、多方面で起こり、変化する時代を経験した。教育への影響といえば、常に後追いであり、変化の激しい時代には、技術の陳腐化が起こり、変化についていくための、新しい方策や考え方、論調等に出会うことも多かった。
 教育においては、高度化のかけ声ばかりが優先したが、専門職よりも一般職が人気を博し、底流には科学技術離れの風潮があったように思われる。意外と保守的であり、総じて、体制的にも組織的にも柔軟性を欠き、ワンパターンが続き、教育の目的が不鮮明化するとともに、ジレンマから抜け出せないままで、当時、既に見え隠れしていた問題点の多くは、引き続き、現在もなお、解決に至っていない。

 国民の多くは、集団から個人へ、先鋭化から多様化へ、選抜から均質化へ、競争から共存へ等、求めるニーズの変化を好むと好まざるとに関わらず、意識せざるを得ず、今、将にゆとり教育が否定され、政府も制度改革に本腰を入れるようであるが、学校教育の本質が問われ、教育の質のドラスチックな変革を期待されている。現下の就職難は、雇用側のえり好みのせいばかりではなく、かたくなに変化に追従してこなかった学校教育が本質的に持つ、制度の欠陥であると指摘しておきたい。具体的には社会の形成者、つまり職業人育成のミスマッチである。逆説的に言えば、学校教育が取り残した部分を他の省庁や学校法人、企業等がカバーしてきたことも事実である。

 従来は企業が企業内訓練を持ち、学校教育では無理であった部分を企業好みの人材育成として引き受けてきた。今や、社会問題化した就職難は、崩壊しつつある企業内訓練とともに、露呈したわけである。(次回へ続きます)