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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

学校教育の側面(7回シリーズその3)

2013年01月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 自らを振り返って見ると、入学した大学校が文部省以外の省庁が所轄する官立であったため、入学と同時に卒業後の進路はほぼ決まっていた。簡単に言うならば目的大学で、その意味では就職活動は全くないに等しく、卒業と同時に、組織の一員となり、3日間のオリエンテーションを受けた後は直ぐに地方への赴任が待っていた。

 入学当時は新たに大学校としての校名を得た時点であった。また、先例がない少人数精鋭の指導員養成所(1学年定員100名各科10名)であった。入学と同時に所属する工学部科は決まっていたのであるが、始めに集中実習と称して、約1ヶ月間、10科ある半数の科を約一週間程度、主として基本的な実技訓練を経験した。今様に言えば、大学教育のジョブローテーション版である。 この経験はその後の学業や職務に大いに役に立ったと評価している。ユニークであるのは、教授陣のほとんどは実務に精通し、生産現場を経験しており、業界の重鎮の方であった。また、特別講義が多くもたれ、業界のスペシャリストから多くの先端技術の取り組み状況や成果を伺うことができた。更に、在学中に、工場実習を1ヶ月、就職先の経験となる実務実習1ヶ月、卒業には卒論と卒業制作が課せられた。

 時間数で年間1800時間、4年間で7200時間(すべて必須)の履修時間であった。
 1単位(90分15コマ)で計算すると年間80単位4年間で320単位である。一般大学の修了は124単位以上としており、90分15コマで2単位換算としているが、それに比べ、今思うと5倍強の履修で、どうりで余裕がなかった訳である。
 将に緊密な教授と学生の関係が構築され、大学教育が就職に直結し、生涯にわたる専門家を排出可能であったとともに、事実そうであった。(次回へ続きます)