引き続き鵜呑みを撮影しました。
氾濫する情報から何を得るのかの問いは、将に今、電子メールやパソコン検索を行う状況で再現されている。欲しい情報まで行き着くにはホームページを何カ所か渡り歩くか、検索用語の追加や何回かのキーワードによる絞り込みが必要となる。
情報用語でいえばいらない情報(ノイズ)をいかに少なくし、必要な情報を失わせることなく(モレをなくす)絞り込み、ヒットさせることが賢明であるといえる。これには何度かの検索を繰り返し、データベースの特徴を体得することが近道である。最近では、検索を経験した人でなくても比較的簡単に情報が得られる検索エンジンや、階層状に作った目次ページ(サイトマップ)を用意したホームページが一般化している。情報を作る側と利用する側とが同じ土俵に乗らないと検索のミスマッチが発生する。
蓄積された情報はデータベースとして整理され、検索や加工が容易となったのも、パソコンが得意とする正確な情報記憶にある。記憶力で人より勝っていれば、それを利用することは自然であり、利用する側の立場に立って操作できるものでないと使いづらいものとして敬遠されてしまう。
同輩がパソコンを敬遠した理由の中には、書籍を読むなどのアナログの世界と人間的でないデジタル世界との違和感があるように思える。しかし、長い間パソコンに接していると馴染んでくることとは違う、人間的な反応が見られることである。パソコンの構造は基本的にはキーボードからの命令をCPU(中央演算装置)で解釈し、記憶したデータを引き出し、アプリケーションソフトと呼ばれる実行ファイルで加工し、提示する装置で、人工知能が進んできたとはいえ、人の脳が低次元で行っていることを代替えしているにすぎない。単純にいえば、人がものを見て認識する行為は、見た情報が脳に視覚情報として伝達され、脳が記憶している色や形の情報と照らし合わせ、同じであると認識する一連の動作を行わせているのがパソコンである。人間的な反応が見られることは至極当然といえるかもしれない。では、違和感は何が原因しているのであろうか。(次回へ続きます)