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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

不来方城とさんさ踊り(2回シリーズその1)

2013年11月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 盛岡城は別名不来方(こずかた)城といわれていて、その謂われは昔、羅刹という鬼がいて、村の民に悪さをしていたが、地元の氏神様に頼んで鬼を退治してもらい、鬼が二度と悪さをしないという証拠に岩に手形を付けたとのことである。三ツ石神社にその手形を押した大きな岩がある。見るからに後世の石工が刻んだと思われる代物であるが、ご愛敬としよう。そこから岩手という名が起こったそうである。鬼が来なくなった方向を不来方(こずかた)といい、盛岡の城趾から見る方向を指していた。それがどのような経過で盛岡城=不来方城、盛岡=不来方となったのであろうか。

 元々場所が違うのであるが、盛岡市内に不来方町があった(福士氏の不来方城があったとの説がある)、距離的にはさほど離れていない。区画を定め、藩の行政をするためには同一として取り扱われたのであろう。盛岡は盛り上がっている岡が城のあった場所で、別名で、杜陵(とりょう)ともいわれる。この近辺には杜陵と名の付いた学校が多い。南部信直が城主をしていた盛岡城は福士氏の不来方城を真似て、不来方城よりも後に出来た城といわれている。

 さんさ踊りについては、羅刹がもう悪さをしないと約束したため、村の民が喜び、「さぁさぁ踊れ!」がさんさ踊りとなったそうである。しかしこの説はどうもマユツバな話と思われる。さんさ時雨(しぐれ)の祝い唄があるが、これは石巻出身の先輩がよく酔って聴かせてくれたが、宮城の民謡と思っていた。(次回へ続きます)