鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 天下り闘争(3回シリーズその2)

2013年11月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 4月1日に自動車が出入りする校門の扉を閉め、組合員が訓練生の出入りする入り口を固める形で天下り反対闘争が始まった。新任校長が到着すると「帰れ!帰れ!」のシュプレヒコールとなり、暫く様子を見ていた校長は何も言わずに校門へは近づかずに帰っていった。

 この状況が連日繰り返され、ほぼ10日を過ぎる頃、本部の人事課長補佐以下数名が校長を伴い、打開のために視察に来た。このときは反対する怒声が一層エスカレートしたようであったが、特にトラブルはなく、本部の視察員も入門せずに帰っていった。校長不在が続くと契約出納役となっている校長の決裁等が取れなくなる。業務が停滞し、支障が出てきた頃、山口県においても同様な天下り反対運動が繰り広げていた状況があったため、本部で中央労使協議が始まり、官僚の定義が確認され、今回の校長人事は問題ないとの結論を得た。しかし、中央で了解が出来ても、支部では、一度振り上げた拳を引き下げるわけにはいかず、組合構成員や地区の組合に対するメンツがあったと思われるが、新任校長の校長室への出入りは可能となったが、戦術を変え、日常闘争を続けることとなった。

 中央が妥結した天下り闘争は解消すると思われたが、組合では無言闘争に戦術を変え、一切校長と話をしないという闘争である。挨拶もしない、質問されても返事をしないという何とも卑劣極まる闘争である。校長は淡々と業務をこなしていたが、何度となく体調を崩し、偏頭痛の病に苦しめられていた。

 無言闘争が半年も続いた頃であろうか、組合員の中にも、この闘争を止めるよう執行部へ進言していたが、執行部は聞く耳を持たず、何とも重苦しい雰囲気が続いた。自分としても個人的には何とか打開の道を探るよう本部の知り合いに相談したり、関東の勤務経験がある信頼していた職員から話を聞いたりしたが、これがリークし、執行部の知るところとなり、執行部から呼ばれ、本部の犬とさげすまれる結果となった。職場集会で数回に及ぶ糾弾があり、自宅へ戻っても真夜中に無言電話が鳴るようになり、生まれたばかりの子供が泣き止まず、睡眠不足になる始末であった。このままでは生活もままならないと思い、自分なりに出した結論は、無言闘争をするような組合には入っていられない、中央が妥結しているのに支部が闘争を組んでいるのはいわゆる「山猫スト」ではないか、直ぐに脱退しようと考えた。脱退届を書き、支部長へ提出したが慰留を求められ、受け取ってくれなかったが、決心したことでもあり、数日後、重ねて意思表示をした。(次回へ続きます)