鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

最近の出来事(4回シリーズその1)

2013年11月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 高齢社会となり、考えさせる問題も多発している。核家族化が進み、故郷の過疎化は歯止めが掛からなくなって来ている。
 我が家の状況もご多聞に漏れず、故郷の実家は、母親の特別養護老人ホームへ入所したのをきっかけとして、空き家になったままである。女房の方は年に数回は実家に戻り、母親をホームから外泊で連れて帰り、世話をしている。母親も年々足腰が弱くなり、気力も低下してきているが、実家での生活は唯一の楽しみともなっているようである。家族や親族の構成によって、故郷での暮らしはそれぞれであるが、過疎化は何をするにしても不自由であることは間違いない。

 山村では、地域の共同体である班が構成されていて、何をするにしても合議制が取られている。しかし、構成メンバーは減ることはあっても増えることはない。各種行事・共有する水源や神社・公民館等、中でも水の管理は大変重要で、班員全員が交代で管理してきた。
 一方で、人口の減少は、小・中・高等学校の統合化が示すように、廃校が進み、各種商店も郊外へ進出した大型スーパーマーケットに押され、殆ど廃業している。車があれば大変便利で、何でも揃うが、車がない世帯では日常生活が逆に暮らし難い状況になっている。

 市や町では定期に運行する買い物バスを走らせているが、バスに頼るだけでは生活できない。地域の互助の限界が見え始め、公助についても、人口減少により、地域の税収が減ってくれば、規模も縮小せざるを得ない。自助については元気なうちはよいが、子供が都会へ出ていれば、老々介護が当たり前になってきている。過疎地でも老人ホームだけは盛況で、入所を待つ多くの待機老人がいる。

 機械化が進んだとはいえ、専業農家でさえ、自らの山林・田畑を管理するには様々な状況が生まれている。例えば、人が管理できない山林や田畑は鹿、イノシシ、猿などの野生動物が出没し、食害に遭っている。減反政策の影響ばかりでなく、放置された耕作地は、過疎化と高齢化の産物でもある。放置されれば、水路の確保も次第に難しくなり、生命力の強い野草や竹が繁茂し、手入れも困難になる。耕作放棄地が増えることによる影響は管理されている耕作地まで影響を及ぼす。
 問題はあっても地域共同体の運営が回っていた状況では何とかなってきたが、もはや、過疎と高齢社会ではうまく機能されなくなっている。(次回へ続きます)