台風が過ぎてもしばらくは茶色に濁った濁流がつつきます。ようやく清流になりましたがまだ水量が多く、激流の写真を撮りました。
出来なければ、故障の都度、専門業者を呼ばなければならない。仕事といっているその中身は技術・技能・知識であり、これらは見よう、見まねでできるものではなく、問題解決能力を意識した経験の積み重ねが必要である。職業に就いてから学ぶことも多いが、子供の頃からの経験は多いいに越したことはない。
自分の母親は、大正生まれで、厳格な家庭に育ったこともあり、家事・炊事(料理)・洗濯など女の仕事とされていたことでも、これからの男は何でも出来ないといけないとの教育方針を持っていて、これらのことを積極的に幼児期から教わった。調理の仕方、破れた服・穴のあいた靴下などの裁縫、刺繍、ミシンの扱い、布団の作り方、トイレ・風呂・部屋掃除の仕方、食器・運動靴の洗い方、染色、毛糸で出来たセーターの洗濯、アイロン掛け、ヒューズの交換、七輪の火の起こし方、切り花の生け方、煎茶、抹茶の点て方等々。
このことが幸いしてか、父親の死後、母親が肋膜炎を煩い、半年近く中原区にある井田病院に入院し、中学1年の長男、小学4年の次男、小学校1年の三男の3人兄弟で、生活を続けて行くことになった。勿論、都内に在住していた複数の伯母・叔母の手助けは時々あった。
母親の口癖は「衣食住足りて礼節を知る」であった。思い返せば、良くやっていけたと、その境遇を懐かしく思うが、決して不幸などとは一度も思ったことはない。
生活するにはノウハウばかりではなく、生活費が継続していなければならないが、育ち盛りではあった我ら兄弟は、幸いひもじい思いをしたことはなかった。病院までは自宅から10キロぐらい離れており、毎週、子供用の自転車で、1~2週間の食事のレシピが書いてある献立表をもらいに行った。また、月締めで支払う各店舗の請求額を現金で貰っていた。(次回へ続きます)