尾羽を広げたり、翼を広げたりで体調管理でしょうか?
瓜生(うりゅう)島とは別府湾で起こった慶長年間の地震で久光島と共に海底へ沈んだといわれている島である。伝説といったのは実在する古い地図からいわれていることで、根も葉もないことではないらしい。人口は5000人強で、1000世帯居住していて、周囲100キロメートル、陸地側から500メートルの所にあったようである。一夜にして沈んでしまったということは、アトランティス大陸と同じである。地震が引き起こす被害は津波だけではなく、陸地の陥没や隆起がある。2年半前に起きた東日本大震災でも漁港の防波堤が沈む被害が多くあったという。大きな島が水没することは珍しいともいえる。
後世の調査では深度7に相当する地震であったという。科学技術を駆使した今後の海底調査を待って、はっきりした確証が得られることを期待したい。地図ばかりではなく、瓜生島という名称は地震後移築された瓜生神社があるとのことでそこからの名称のようである。
丁度、高崎山も裾野が海岸と接するあたりで、仏崎という難所があり、交通事故が多発した場所でもある。仏崎の交通事故が多い理由に、水没した瓜生島の死者の怨念が怨霊となって、海に引き込むということがまことしやかに語られていた。実際にも供養塔があるが、片側が海であるため、大分から別府方面へ走る車は高崎山によって光が遮られ暗く感じるが、仏崎付近では、視界が一瞬であるが開けるので、ハンドルを切りそこね、反対車線の車とぶつかるのが理由であろう。夜間は街路灯もなく暗い場所であった。海岸から急に深度が深くなっていて、古くから仏崎は飛び降り自殺の名所でもあった。想像の域を出ないが、女郎等の飛び降り自殺が考えられる。
仏崎から大分市内に入る場所は「かんたん」(蓮の花の意味)現在の地名は生石港町で、古くからの港町で、船員相手の遊郭や女郎屋が軒を連ねていたところである。現在は大分と神戸を結ぶダイヤモンドフェリーの出航・着港場所となっている。売春防止法によって禁止されたため、楼閣の姿は消えたが、現在でも、二階には立派な欄干を持つ妓楼建築の名残を見ることが出来る。