鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 天下り闘争(3回シリーズその1)

2013年11月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想
大分雑感 天下り闘争(3回シリーズその1)

 組織の構成員の行動が方向性を見誤れば、爆走し続け、予期しない事態へ追い込まれる大変怖い存在でもある。一致団結した結果、組織を壊し、企業活動すら出来なくなり、倒産や解散に追い込まれた例は数えきれない。労使関係が正常にいっていれば、労働争議は起こりえないが、労使関係のバランスが崩れると歯止めがきかなくなり、労使双方に禍根を残し、被害者が生まれる。問題発生の芽はあらゆる所にあり、病気にたとえると大病になる前に治療しないと組織の運命までも左右する結果となる。

 当時、雇用促進事業団は政府関係の特殊法人で準国家公務員という範疇に入る半官半民の組織であった。職員数は3500名で、全国に100校の職業訓練施設を持ち、3000名が職業訓練指導員である。残る500名強が管理職、事務職員等で構成されていた。
労働組合を持ち、管理職と労使協定で決められた非組合員や嘱託を除き、殆どが労働組合に所属していて、組合組織率は98%であった。
 組合に入るには自己意志で入るオープンショップ制を敷いていて、執行部三役以外は辞めるときも自由に辞めることが出来る。前任地でも組合員であり、組合は全国組織で、地方にあるそれぞれの訓練施設には労働組合の支部が置かれていた。転勤しても同じ組合員で継続することが一般的であった。

 大分へ赴任して2年が経過し、訓練科の指導員が定年で辞職したため、空きが生じ、自分は指導員に戻った。翌年、校長が60歳の定年で退職し、新たな校長を迎えることになったが、大分労働基準局のK基準局長が決定していた。校長の人事は本部マターであるため、末席の指導員が知るよしもなかったが、組合の集会で入校阻止をする提案が支部執行部から提案され、全員の了承で可決された。
 阻止の理由は元労働省の官僚で、天下り人事に該当するとのことであった。自分には初めて知ることなので、勿論、氏名も素性も知らず、大分労働基準局には業務上では接点もないため、そんなものかと思っていた。後で知ることになるが、労働省には職業訓練局があり、そこで職業訓練用教材の開発を担当するキャリアで技術専門官であった。人との出会いは思わぬ展開となるもので、この所長との出会いが、自分の職業生活の転機となった。普通、官僚の定義というのは本省の局長以上のポストをいうので、その定義に従えば天下りではないが、組合が過剰に反応したのは、労働基準局長イコール官僚と早合点したためであろうか、今となっては、その真相は闇の中でよく分からない。(次回へ続きます)