キセキレイは単独で飛来することが多く、ハクセキレイやセグロセキレイに比べ数は少ないようです。
大分県は多くの観光地を有していて、観光客も多い。古くから温泉地として別府は有名であるが、別府の温泉街を浴衣姿で回る観光客は少なくなったようであり、一時のにぎわいは影を潜めている。午後7時ともなると歓楽街である流川などはシャッターが閉まっている店舗が多い。湯治客が多かった鉄輪(かんなわ)もひっそりとしている。旅館では一番大きかった杉の井ホテルや近くにある楽天地も同様で、集客には努力していても全盛時代とは違って見える。
海岸線にはマリンパレスの水族館があり、山手は高崎山で、野生の猿が餌付けされている。猿の 集団が三つあり、それぞれにボスザルがいて、最近ボスザルが行方不明になったがまた戻ったとの新聞報道があった。ここから更に南下すると大分市内にはいる。往時は別府と大分間に路面電車が走っていたが線路は撤去されている。
最近、脚光が浴びている湯布院は、当時とは違って人気が高いスポットとなっている。
金隣湖、銀隣湖の二つの湖畔には多くの宿泊設備があり、由布岳を望める温泉地でもある。在職当時には、勤労青少年福祉施設として中野サンプラザと同じ組織が運営していた「湯布院ハイツ」があったところである。現在では湯布院を管轄する市町村に売却され、運営主体も変わったと思われる。
初代館長であったE氏とは関係が深く、九州地区で毎年行われていた組合主催の職業訓練研究集会の会場として、お世話役であった筆者は、準備のために前日から泊まり、集会が終わった後も何度となく訪ねていた。人望の厚い方であり、施設の職員に対して接客することの困難さを聴いた。職員の殆どは施設の近くに居住しているが、開館当初急遽、募集したこともあり、従業員教育の大切さを語ってくれた。調理場を預かる調理人は一匹狼の渡り職人が多く、仲居と一緒になり、行方知れずとなる者が多発し、館長のいうことを素直に聴く者は少なかったようである。その後、最近まで健在であったが自宅が福岡にあり、ご家族から喪中の葉書をいただき、他界されたことを知った。(次回へ続きます)