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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 福沢諭吉

2013年12月23日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 豊前・豊後の地は古くから「豊の国」と呼ばれていたせいか、作物が実り、豊かな生活を享受してきた。中世・近世に置いても、大分県は歴史の中で偉大な役割を果たしてきた。
南蛮貿易とキリシタン文化の導入には大友宗麟の出現かあり、大友氏の没落後、豊臣秀吉は大友旧勢力の復活を恐れて豊州二国に分裂政策を採った。小藩に分裂したことは逆に多くの偉人ともいうべき人材を排出した県でもある。その中の一人に、明治の我が国最大ともいえる指導者に福沢諭吉翁がいる。

 幕末も明治維新に近づく頃から、従来の自然科学のみならず、欧米の政治・法律書の翻訳出版が行われるようになり、公議世論・立憲政治の思想を刺激するようになったが、維新政府の開国進取の方策と共に、欧米近代の学問・思想が流れ込んできた。西周(あまね)、津田真道(まみち)、加藤弘之、福沢諭吉、神田公平、中村正直らは、当時の先端的な学者・思想家として、思想界の文明開化をした人たちで、これらによって発行された「明六雑誌」は近代思想の紹介に大いに役立ったといえる。

 福沢諭吉は中津藩の下級氏族の子として生まれ、長崎に遊学し、大阪の緒方洪庵の塾にも学んだ。1860年幕府の遣米使節に従って渡米し、その後欧州を巡歴した。三度渡米して帰朝後、江戸に慶應義塾を設けて教育に当たり、西洋の有様を紹介した数多くの啓蒙書を著した。初期の著作のうち「西洋事情」と「学問のすすめ」は最も著名である。明治四年に義塾を三田に移して教育に専念し、英国の功利主義思想に基づき、独立・自立・実利・実益を鼓吹した。

 多くの著作の中で西洋事情は欧米の国情、銀行・郵便・徴兵・選挙等の諸制度から、権利義務の観念、教育の問題を十巻に亘って論じた啓蒙書である。また、学問のすすめは、「天は人の上に人を造らずと云へり、されば天より人を生ずるは、万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく」と人間の平等を説き、貴賎貧富の差は、天性の賢愚を別にすれば、学問を修めるかどうかによるので、己のために、また他を利し国を助けるために、学問をすべきであり、それも実用功利の学の必要性を説いた。そして自己の権利を覚り自由の利を得て一新の栄達独立することによって国の独立が全うされることを強調した。将に現代にも通じる基本的な概念であろう。