今年撮影した初めてのホウジロです。数日前からホウジロが来ているのは知っていましたが、なかなか出会えませんでした。
辞職に追い込まれた知事の記者会見映像を目にして、頭を過ぎったことの一つに、政策には自信があったが、政務はアマチュアであったとの発言である。この発言は、逃げともいえる、組織のトップが口にしてはならない暴言である。この言葉を発すること自体が辞職に値し、同年配の自分には何とも情けない失言と思えた。今後も疑惑解明に向け、配慮を重ねてきた検察が動き出し、知識人等の多くの追及の手が継続されると思うが、辞職という段階は真相究明の第一歩で、幕が開いたに過ぎない状況と思われる。そのことは何れ触れたいとと思うが、その経過を注視していきたい。
役人と呼んでいる公務員の組織は、知事や首長を頂点とするピラミッド組織である。研究所等の横並び(文鎮形)組織ではない。また、作家や、芸術家のような一人親方でもない。
我が国の選挙制度による首長の選び方にはそれなりの意味があるが、省庁の事務方のトップは事務次官で、この人事は選挙とは関係ない年功序列制度の中で、内部の組織で決まる。つまり首長は選挙で人選する形であるが、前例があるように、選挙で当選すれば前職は問われない。つまり、素人(シロウト)でも良いということになる。素人とは職業人でなく趣味でそのことをする人のことで、英語で amateur (アマチュア)のことである。そのことが判っていて知事を拝命するとは全くの驚きである。
知事として1年間の職籍は最短であったとはいえ、よく1年も持ったものだと呆れるばかりで、当初から知事としての重責を全うするには、ふさわしい人物ではなかったのであろう。その政策たるや大衆の受けを狙った思いつきで、組織の判断を無視した横暴さは将にシロウトであった。作家としてのノンフィクション作品の太宗はたれ込みと偏見に充ち、自己満足の域を出ず、このことによって組織を蔑ろ(ないがしろ)にしてきた付けが露呈したに過ぎないと思える。慰留を進言する同朋議員や組織内部の人材が全くいなかったという事実はそのことを示しているといえる。
作家等の一人親方が辿る末路を見たが、組織の重大な意志決定方法は、いくら日本的経営が変貌したとはいえ、年功序列制度の根幹が崩れていない公務員の世界では全くといって変化しているわけではない。つまり、トップダウンではなく、ボトムアップの意志決定過程を踏んで初めて組織の政策が決定されるのである。端から見ると組織の長が命令しているような錯覚を与えるが、決してそうではない。これから始まる知事選挙では果たして誰を選択するのであろうか、少なくともシロウトは敬遠したいものである。