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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 方言

2013年12月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 方言は同じ九州の中でも異なり、世代間や男女間でも異なっている。同じ言葉であっても意味する内容が異なり、発音強弱やイントネーションでも違っている。生まれながらに覚えた言葉は、意識せずとも自然に会話をするもので、その矯正は外来語を覚えるよりも難しい場合もある。何故に方言が生まれるかといえば、地域独自の文化があるからで、それも常に一定ではない。人々が活動する範囲は広く、古くは旅の僧や行商人などからの情報が基になった用語も多い。各地に残る公家言葉など中央の文化に接しても変遷する。

 最近の情報化社会は、様々なメディアを使って均一な情報が伝えられるいわゆるユビキタス社会であり、地方からの発信も決して少ないわけではない。当然地域格差は埋まり、方言も徐々にではあるが標準語といわれている言葉に収斂している。とはいえ、方言は地域の文化ともいえる要素を含み、同郷の者が集まれば、方言が飛び交うのも自然である。

 東北訛り(なまり)や、京都訛りなどその時代の標準的発音からずれた訛りがある。訛りが抜けないことに悩む人も多いが、芸能人の中には逆にそれを種にして、極端ともいえる発音を芸とする人もいる。

 自分は就職した組織が北海道から九州・沖縄まで全国に業務展開していたため、各地の方言を聞いて仕事をしていた。出張は全国に及び、転勤も北海道(函館)、東北(盛岡)、関東(千葉、東京、神奈川)、九州(大分)を経験した。方言で苦労したことはなかったが、長年そこで生活すると訛りを覚えていく。今では会話の途中でミックスした方言が無意識に飛び出すことがあり、懐かしい思いをすることがある。

 さて、大分の方言は一口で言うと標準語に近く、鹿児島の方言のような難解さはなかったようである。山口や広島の方言に近いようであるが、孫が夏休みなどで女房の実家に数週間滞在すると、帰京した後しばらくは大分の方言が飛び出す。それを聞いていると、方言の持つ暖かみを感じることが出来る。

 方言についてはもっと奥が深いと思うが、東京弁は下町の大衆用語がベースにある。また、江戸時代の参勤交代により、全国の藩との行き来があったため、ミックスした方言が形成され、それが標準語・共通語として使われるようになったのではないであろうか。その意味では標準語は特別な用語ではなく、方言の集合体であるといえる。