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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

新年を迎える儀式

2013年12月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 年末に近づくにつれて、日々慌ただしい思いをするのは、誰しも同じでは無かろうか。
仕事をしていない自分にとっても、この時期、住所録の整理、庭木の剪定、各部屋のガラス磨き、水回りの清掃と殺菌、神棚と仏壇の掃除、蛍光灯や白色電球の交換等毎年行ってきたことを計画している。この時期にしなくても良いのであるが、これも年末の行事としている。障子の張り替え、ブラインド、網戸の水洗いは夏の時期に済ませたため、若干余裕がある。
 何故にと思ったことはないが、無宗教に近い生活でも、新年の歳神様を迎えるためとの理屈を付けている。多分歳神様はきれい好きなのでといえるのかも知れない。何処かに禊ぎ(みそぎ)の気持ちがあるようで、飾らなくても良い若松や、輪飾りを買いに行く。玄関にも松飾りを飾るのも毎年のことである。

 神棚には注連縄(しめなわ)を張るまではしないが、お榊(さかき)は松入りに変えている。初詣で賑わう神社には大きな注連縄が張られていて、いつも気になっていたが、調べてみると結界(けっかい)といって、古くからある陰陽道や仏教、神道等で行われてきた。この世とあの世の区分け、つまり、神様と人間の住む場所の境を明示しているそうである。

 庚申塚や道祖神も一種の境だそうで、また、相撲における最強力士を横綱によって神格化を意味し、更には注連縄を大木や巨石に巻いて神格化することや、結界を造ることによって、邪気を閉じこめ、邪気が入り込まないように境を造ることも行われている。茶室の入り口にある躙り(にじり)口や蹲(つくばい)も結界の意味を持つ。

 注連縄も縒り(より)方によって男の神様と女の神様は違うようで、切り口が時計回りであると男神、逆回りだと女神とのことであった。

 薄々は判っていても知らないことも多い。無意識にすることの不思議さを感じるが、成長するうちに身に付いていくのであろう。新年を迎えるこのような風習は世代間の引き継ぎで大家族ではうまく移行できるが、独立した家族が多くなり、世帯が分散すると引き継ぎが難しくなる。これらの風習が消えていくことは何故か淋しい思いもするが、形骸化する必然性もあり、仕方ないことでもあるが、宗教行事と係わりが薄い我が国のクリスマスや、新年のカウントダウンなど新たな風習が増え、定着することを期待したい。