タヒバリが近くでストレッチを始めました。3回に分けて掲載します。
豊後が排出した三賢人がいる。ご存じの方も多いと思うが、三浦梅園、帆足万里、廣瀬淡窓である。独自の自然哲学を創出した。優れた学究としてだけでなく、老職として藩の財政改革を実践した帆足万里、門弟三千人を育てた教育家であった廣瀬淡窓である。この他にも豊後ではないが我が国最初の西洋解剖学を現した前野良沢、南画の田能村竹田、実践的農学者大蔵永常、学問のすすめ等で有名な福沢諭吉などである。
豊後国東富永村(大分県国東市安岐町)で享保8年8月に三浦梅園は三浦義一の次男として生誕した。名は晋(すすむ)と命名され、字は安貞、幼名は辰次郎である。女房の実家武蔵町の隣町であり、車で30分の場所である。ここには梅園自身が設計したといわれた旧宅があり、梅園の里として公園となっている。
三浦梅園は17歳の時に杵築藩の儒学者綾部絅斎に師事し、また、中津藩の儒学者藤田敬所に師事したが、長い期間ではなく、彼の自然哲学は独学によるものである。条理学といわれる独自の学問体系は著書「玄語」に記述され、更に「贅語」と「敢語」があり、三著作を合わせて「梅園三語」と命名されている。この著作に至る過程では、多方面の読書の賜であり、読書の結果は、誰一人として確実な真理の根源を見極めた者はいないとして自ら探求を始めた。
梅園は気の哲学に開眼し、朱子学風の論文「玄語」を書いた。23年間もこれの推敲を重ね、陰陽の「易の論理」に基づき根元的太極は陰陽に分かれた陰と陽に更に分かれ、更にそれぞれは陰と陽に別れる。この二分法の連鎖によって、論理を展開した。二分法によって枝分かれした筋道を条理と名付け、あらゆる物をそれぞれのレベルにおける気(エネルギー的側面)と物(物質的側面)とによって成り立ち、その統合として把握していけば最後に根元的存在にたどり着くことが出来るとした。
現在の二分法の代表はコンピュータの回路がオンとオフを1と0で表すので、よく似た思考方法といえるであろう。白黒思考ともいわれ、無理矢理にどちらかに決めることによる誤謬が指摘される場合もあり、この論理の選択には単純で判りやすいが用いる範囲を明確に定義する必要があろう。ファジー(あいまい)な理論もある。選択肢を二つに狭めることによって、白と黒の両者を持つものが除外されるといった誤りは日常生活でも起こりうる。アンケートなど選択肢を限定するものが多く、集計の結果をパーセントで済ますことが行われるが、正しい結果を出す場合にはアンケート作成前に選択肢が洩れないことが必要である。