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終身雇用制の中にあっても定年制は存在していた。労働者を統計上義務教育が終わる中学卒業時の15歳から、リタイヤする64歳までとしてきたのはそれなりの理由が合ってのことである。40年間が労働に従事すると捉えられたのには、現在の様に高校卒業後大学への進学率が50%を超える時代では、22歳から数えて40年間といえば、62歳となり、定年後も5年間ぐらいは働く方も多くなってきたので、65~67歳が嘱託を含めて労働期間となるであろう。勿論、体力や、家庭環境によってその期間は異なるが、どちらにせよ、労働市場は雇う側と雇われる側との需給関係であるため、そこには自由な関係が存在していた。
定年制は、従業員が労働協約、就業規則、その他の慣行などによって定められている一定の年齢に達したときに、退職する制度で、企業規模にかかわらず、広く普及している。定年制の起源は明治末期に遡り、一部の大企業で定年制が設けられていた。昭和にはいると大企業を中心に定年制が普及し始め、戦後の平均寿命が50歳であったこともあり、職員の定年が55歳、現場労働者は50歳としていた。戦後、55歳定年が一般化した。
その後の高齢化社会を反映して、1986年の高年齢者雇用安定法の施行に伴い、定年を定める場合は60歳を下回らないことが努力義務となり、1998年には強制規定となった。こうした一連の定年延長には一方で、年功的な賃金制度による人件費の高騰を引き起こし、企業は定年延長と引き替えに賃金の据置、引き下げが行われ、早期退職制度、選択定年制、出向などの対策が顕著となった。
近年では、公的年金の不備や、労働意欲低下への対応、平均寿命の伸長による生活費の必要性から60歳以降の再雇用・再就職を希望する労働者が多く、政府も65歳定年制の導入を検討している。労働者の意向ばかりでなく、平均寿命が延びたことは、医療費の増加、年金財政の破綻への危惧、労働者構成層の逆転等の多くの点でアンバランスが生じていて、定年制を取り払う方向、年代間での相互扶助等の取り組みが生まれつつある。
定年制を掲げなかったわけは、嘗ての我が国が雇う側と雇われる側との双方にメリットがあったためで、個人によって能力も体力も異なるため、敢えて定年制をいわなくても良かったのであろう。政府の介入によって、一律性を強調したがため、ほころびも出始めてきた。最近では定年制を見直す動きにも変化が出始めているので、注視していきたい。