鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

家屋の解体工事

2016年02月23日 00時00分01秒 | 紹介

 町会は異なるが、道路を隔てて向こう3軒に入る住宅が売りに出され、住宅業者が決まり、解体工事が始まった。早朝から工事用トラックが3台入り、道路は通行止めとなった。

 家財が運び出され、トラックには廃棄処理業者の名前が入っている。しばらく空き家となっていて、所有者は二世代目、昭和30年代に建てられ、すでに55年以上は経過している。先代夫婦は既に他界していて、兄弟が2人いたが、長男は病気で早死にしている。自分と同年代で、顔を合わすことも多く、雑談した思い出がある。

 

 別段、詮索する必要もないが、幼馴染であり、死亡を契機として以後、ほとんど付き合いはなかったが、弟が長らく海外に住んでいて、時々姿を見たことのあるが、挨拶すら交わすことはなかった。今般の売買には弟が行っているようである。

 

 世代が変わり、二世代目が殆どになっている居住地周辺では、建て替えや、離散された世帯も多い。アパートが何軒かあるし、平地(ひらち)にして、世帯住宅に変わった家もある。二世代目同士の交際はほとんどないし、ご両親も他界又は高齢者となっている。そういう自分も高齢者の仲間入りとなった。時の流れは止めることができないし、住む人が変わるのは仕方ないことである。

 

 この住宅地は、起伏が少ない平地(へいち)であり、古くは耕作地であった。水はけがよいせいもあり、ナシや桃畑となっていた。一部は陸稲や麦が植えられていた。多摩川の氾濫で、土手が決壊したこともあったが、南武線の線路が高台に敷設されていたことが水没を防いだ。南側は500mくらい離れているが、多摩丘陵があり、多摩川が何度も氾濫し、流れを変えたようで、一帯は3mも掘ると水が出ていた。

 

 耕作地は住宅に変わり、都内に出るのも、川崎や立川、町田等へ電車で30分以内で行ける場所にある。工場はほとんどなく、静かな場所である。住居には最適で、アパートも多いが、発展する余地はほとんどないといってもよい。

 

 解体工事が始まったが、しばらくは工事関係者が出入りするであろう。近所に住めば、顔見知りとなり、挨拶もするようになるし、一体感が生まれる。居住者との特別な交流もないが、疎遠となった近所づきあいについてもほどほどの付き合いで、良いのかもしれない。近所で始まった解体工事は、新たな再生の機会であり、寂しい気もするが、世代交代の一面に触れたような思いである。