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日本人の意識その1

2016年04月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

序論

 日本人の意識の根底にある潜在意識なのであろうか、共通の概念が、身についていることが今後どのように変わるのか、それとも変わらないのかという視点で、何気ない生活の中にスポットを当て、日本人の本質に迫ってみようと思っている。よく自分のアイデンティティや日本人のアイデンティティという概念があるが、自らが上述の世界にいるとわからない、または知る必要がないために、深く追及することもなかった。国際化が進み、己は何であるかとの問いに答えるためには、先ず、違いを明確にする必要が生まれてくる。

 

 これを文化人類学、比較文化論、国際文化論などというのであるが、比較対象があってはじめてその違いが分かる。その考察のためには、少なくとも、対象範囲をどこまで広げ、人種的、時代的、地域的、相互の関係等の過去に遡らなければならない。しかし、この作業は膨大となり、時代を特定しても、完全な違いを見出すことは不可能に近い。

 

 世の中は常に変化し、人の往来や、主義主張、民族の移動や戦争、自然災害、病気、イデオロギー等様々な要因による推移を把握することは困難であろう。そこで、現在に絞り、比較することによって異なる状況についてその世界を掘り下げることが、わかりやすいと考えている。いくつかの切り口からその原因や、仮定を考えてみることも大切なことと思っている。

 

 アイデンティティという概念は、自らを表に出すことが憚(はばかる)られてきたわが国いおいて、ほとんど話題にも上がってこなかった主な理由は、長らく戦争のない独立国家での集団主義の世界に身を置いてきたためと考えられるが、欧米の個人主義の台頭によって、わが国も少なからず影響を受けてきたと思われる。自分とは何なのか、自国とは何なのかを対外的に問われることになったからに他ならない。狭い地域にいる限りでは、対外的な問いもさほど問題になることはなかった。情報がグローバル化している現在、情報は必要以上に求めれば、逆に求められる時代に入っている。個人ではなく、所属する組織でもなく、境や範疇を越えた対象との共存を問われているのである。

 

 そのような視点は職場でも、教育現場でも、地域社会でも家庭でも問題としてこなかったことであるが、良いか悪いかは別として、共存するための自己認識を求められる状況になっていることは、少なくとも自分を知る、わが国を知る、地域を知る、歴史を知ることで、自分のアイデンティティを知ることに通じるのである。このような概念の課題は、具体的な事例を必要とするであろう。今後、自己の接して経験の中で見いだせた事例に基づき分析を進めていきたいと思っている。