4月も下旬となり、4案に絞られたエンブレムが一つに決定した。どのような決定かは選考委員の投票によって決まったことで、一市民としては口をはさむ余地はないが、晴れやかな祭典にしてはどことなく派手さが感じられず、わが国固有の市松模様というが、斬新さはないように思えたが、決まったことなので今さら意見を述べても仕方ないことであろう。
今回の選考にしても、密室で決めることが許されず、オープン化するという基本に返れたことはそれでよいのであるが、根本的な問題が解決せず、デザイン業界に大きな波紋を投げかけた。盗用という限界が明確に是正されない以上、グレーゾーンを残す結果となった。大変後味が悪く、専門家集団の相対評価が必ずしも国民の意識をくみ取っているのではないことを露呈したものであった。
感覚の世界は、過去の作品からある程度の基本方針、黄金分割やバランス等が導くことはできるが、1万数千件に上る応募作品のそれぞれについての評価はやはり相対的である。この世界は絶対化できない以上仕方ない。それでも委員の選考基準などはもっとオープン化してもよかったことであろう。
デザインは、相当高度化できるようになっている。パソコンのソフトを使って、相当程度が高い作品を生み出すことができる。人間の知識や経験以上に全世界のあらゆるデザインをデータ化し、そこに組み合わせの順番や、線の太さ、配色等を変化させれば自動的に多くの作品を生み出すことができるため、もはや、自らが考え決めるのではなく、アプリケーションソフトの機能を知り尽し、何らかのひらめきを加えれば済む世界まで行っている。
そうなると、寧ろアプリケーションの操作技能の世界であり、独創的などとは言えない作品になってしまうであろう。いわば、人間の能力を超えた世界も可能ということになり、コンペティションをする意味さえなくなるのではないかと思っている。できてしまった作品に対し、制作の意図などは後付けで、付け足しでよく、なんとでもなるのである。
異論があることを承知して申し上げれば、デザイン業界に水をさすようで申し訳ない部分もあるが、所詮人間の発想など大差なく、似たり寄ったりで、どこかに盗用やコピーがあり、潜在的に全く異なる独創性などないに等しい世界であろう。一つに絞ることすら意味がなく、4点最終案が出れはそれらすべてを使う方が公平性が高い。