ナマズを捕ったようです。
以心伝心について考えてみたい。禅宗では言葉では説明できない深遠・微妙な教理を無言のうちに弟子に伝えることで、俗に無言のうちに相手にわからせる意味にも用いられている。では、テレパシーなのかという疑問も生じるが、そうではないようで、禅宗の教理の基本は座禅であり、道士と仰ぐ方との問答である。実際の世界は知らないが、厳しい修行の中に俗世では味わえぬ多くの心理を体得し、自立本願を志すと聞いている。
テレパシーは超能力や精神官能現象などと呼ばれ、一時話題になったことがあり、脳科学の分野でも多くの実証的な実験が行われている。よく言われる話に、一卵性双生児が遠距離に置かれていても、考えることや行動が類似していること、若干心霊的となるが、神からのお告げや、虫の知らせなどは日常的によく耳にする。虫の知らせは、体内にあって、人間の心的状態を左右すると考えられていて、子供が体質的に疳(かん)が強い状態になることをいう場合に使われる。
日本人は胸に手を置くことをするが、心臓が心とイコールという考え方で、胸には心というもう一人の自分を当てはめる場合がある。その心との対話を通して、状況に応じて善悪の判断や好き嫌いの判断を行うとされる。どなたかか忘れたが、もう一人の自分は、日本人が生まれたときに口から入る神様だそうであるが、これは自分を形成する師匠や指導者のようで、間違ったことはしないし、正しい判断を行うそうである。もう一人の自分が判断つかない場合、例えば、未知の経験等に遭遇するとパニックとなるとされている。成人となれば、同化することでもう一人の自分などという理屈は通らないため、または二重人格などと揶揄されるため、自然に忘れてしまうようである。
お告げは超常現象で、外国にも神のお告げや、それに類した奇跡的な状態を目にし、声を聴いた、音を聞いたとの話は多い。本当のところはよくわからないが、説明がつかない、再現性がない世界では眉唾の話も多い。しかし、未解決であっても世界の7不思議があるように現代文明では解明不可能な世界は多くある。以心伝心などのその部類に入るのかもしれない。
日本人がどこから来たのかでさえ明確な証明がなされていいないし、異論も多い。今は超常現象とされていることも後世で明確になるかもしれない。言いたいことは、全てが明確ではない世界がある以上、限定的な範囲や対象範囲を決め、論議する場合でも、スタンスを決めてからの話とすべきで、とくに宗教との関係は原因結果が曖昧であるため、唯物論の立場からすると判断がつかない分野である。我が国では唯物論と唯心論とが混在していて、より複雑化している社会といえる。