晴天に恵まれ、私としては早出のコアジサシ狙いでした。しばらくコアジサシ三昧です。
この時期の恒例であり、飛来がないのは寂しい限りで、その意味においては、何羽か飛来すると安心する。なぜならば、昨年度のこの時期としては大量の降雨が、洪水となって、抱卵か子育ての時期に洪水が来て、卵や雛もろとも流されてしまったという営巣地としては失格である点が、気にかかっていたからである。もうあきらめてしまったのかという思いが、コアジサシの飛来で、胸をなでおろすとともに、子育ての数少ない営巣地が、本来の子育て環境となって欲しいという願いがあったからである。
しかし、ダムは人為的なものとして治水対策の要である以上、一定の水量ともなれば、放流しなければ、周辺住民に安心を与えられかねないない。野鳥の営巣地は水没し、結果、子育てにはふさわしい場所でないことをコアジサシが分かってしまうからである。なんともその不安定さを解消できる考えや、アイディアを持ち合わせていないため、危惧が先に立ってしまう。何も野鳥の飼育の関係者でもないカメラマンにとっては、その対策など遠い存在である。
一方では、河川の改修や、河川敷の整備は、自然を破壊する。洪水によってもたらされたクルミや柳、大木にもなるムクノキ、ニセアカシアなどは、自然環境の中で、たくましく育つ。遊歩道を備えた雑木林は、人工的な河川敷管理とは異なり、人工的な環境の対岸にある。この環境をどう思うかは人それぞれであるが、野鳥のカメラマンからするとできるだけ現状を維持し、人工的な整備を行わずに過ぎてほしいと思っている。
現在、下流では河川の改良工事が進められていて、洪水対策としては歓迎であるが、数少ない伏流水がもたらすワンドの破壊が行われていて、自然破壊はそれとは裏腹に進んでいることを指摘しておきたい。共存できるすべはないのかと思うが、施工側の政策変更は不可能に近い。相反する考えではないのも事実であり、川崎の魅力の一つとして、広大な多摩丘陵を公園化する動きと併行し、野鳥の水場である多摩川の状況を鑑み、良策の検討を願うところである。
コアジサシの生活の場は河口近くであるが、なにゆえに宿河原堰を営巣地とするかは、子育てに必要なアユの遡上と成育環境によっていると思われる。素人考えであるが、丁度コアジサシの子育てと餌となるアユの生育がマッチしているとことが最大の理由かもしれない。人の知恵は決して自然を凌駕しているのではない。自然を御するのではなく、共存を求める大切さを決して軽んじてはならない。他の生物あっての人間社会であることにもどこかで考える余地を残してほしいものである。