ゴールデン連休も天候が悪化した今日は午後から雨が降り出した。午前中は、河川敷でバーべキューを楽しむ家族や若者グループで賑わっていた。夕方、小雨の中、犬の散歩に出かけたが、ほとんど人影もなかった。途中、出遭った高齢の女性が、野茨(ノイバラ)を抱えるほど持ち帰っていた姿が印象的であった。公共施設は、どなたが利用してもよいのであるが、多摩川に自生する草花は別に所有権があるわけではないので、持ち帰っても問題があるわけではないが、咲き誇った草花を切り取ってしまうのは、残念というか、人間の心に潜む卑しさを見たような気がした。
採った野茨は仏壇でも飾るのかよくわからないが、仏さまも迷惑なことであろう。それとも喜ぶのであろうか、他人が見ていなければ何をしてもよいわけではないであろう。河川敷は公園ではないが、多くの方が訪れる。自然に触れるためと思う。時期々には多くの花が咲き、野草も花を咲かせる。今は、ニセアカシアがこぼれるように咲き誇り、風が吹くとアカシアの雨が降る。スイカズラも花が咲き始めた。クローバーやタンポポも咲いている今の時期は大変美しい。野茨も香りが高く、真っ白な花はどことなく清楚な感じがして妙な飾り気がない。
植物は精一杯生きているし、荒れ野を飾る美しさは人工的ではない素朴さを持っている。野の草花は、昆虫の餌ともなり、それを餌とする野鳥を生かしている。循環社会の一翼を担っているのであり、むやみに人間の都合だけで取り除くことは許されるのであろうか。
年齢を重ねれば、生き物をむやみに殺生することは慎むことぐらいは感性として持ち合わすのであろうが、残念ながら利己的な高齢者の姿を見ると情けなくなる。
それでなくても、人間が作る環境への影響は、絶滅危惧にさらされている多くの動植物を生んでいる。人間の傲慢さは自然破壊を増長する方向を生みやすい。務めて、自然サイクルを保つように心がけるべきなのに、その思いも遠い昔に捨ててきた人間が増えているように感じる。平和を思う心があれば、動植物との共存は当然なことで、美しい国土を望むのならば、身近なところから、不必要に動植物を殺傷しないことであろう。
自分だけが満足する世界は争いを生み、国土を悲惨な状態に導く導火線である。異なる価値観は仕方ないにしても公共の場での行動は常に留意するのは当たり前であろう。卑しさもまた、不快感を蔓延する。