アオサギのごり押しはどこまで許されるのか?まずはアオサギの水浴びからです。
JOC(日本オリンピック委員会)竹田会長のコメントが報じられている。IOC(国際オリンピック委員会)関係者との繋がりが指摘される会社へ2億円超をコンサルタント料として支払ったことを認めた。疑惑をもたれる支払いではないとしているが、果たしてそうであったのかどうかの確証までの表明はなされていない。今後の詳細な内容が明らかにされ、納得がいくものかどうかの議論がなされるであろう。
形の上ではIOC委員の投票による多数決であったが、2度にわたる送金は、予め手付け金が半額支払われ、招致が決定後に成功報酬と思われる半額が支払われていて、傍目からすると出来合レースであった可能性も見えてくる。招致が決定したときのはしゃいだ日本関係者の姿は何であったのであろうか。今から思えば、事前の金銭授受が事を成したといえることを拭えなくなってしまった。単なるパフォーマンスで、一瞬にして疑惑は事実であったことを裏付けてしまったのではないであろうか。
招致による国内の経済効果や、二次的と思われる我が国の紹介など、本来のスポーツ精神は建前で、商機を作り出す姑息な手段と成り下がった感は否めない。以前の東京オリンピックが首都高速等の道路網を建設できたというインフラ整備は成功物語として語られているところであるが。二匹目のドジョウを捕まえる算段であれば、スポーツ精神の建前とは裏腹の本音が見え隠れすると感じるのは自分一人ではないであろう。
国民や都民の税金が、総額69億円という莫大な資金が集められ、コンサルタント料などと賄賂としか写らない行為を正当化する竹田会長のコメントは庶民感覚を逸脱し、組織の体質が問われても致し方ないと思われる。国民の多くはそこまでして招致を望んでいないであろう。そのことがそうではなかったと知らしめた。
今後、この件に関して政治問題に発展する可能性があり、その展開について注視していくが、既に決まったことでもあるので、取り下げないにしても、多くの禍根を残すことになる。我が国で行われるオリンピックに対する国民の期待感は下がり続け、多くの国民が意気消沈した状態で迎える祭典となり、何とも寂寥感と情けなさを感じる大会となるのは必然で、誰しも望んではいないであろう。
組織の長は何をしても良いのではない。全権委任しているのではない。舞い上がり、国民の意向を無視し、適正な判断が出来ない者は自らを律することが出来なければ、司法の場での席が待っている。