仏様の額にあり、眉間に突起物がある。白毫(びゃくごう)というものであるが、白髪が集まって丸くなっている。仏様では、第3の目ともいわれ、そこから白い光を出し、迷える民を導くとされている。古くから、目の機能を拡大解釈し、一定の判断に基づき、予見を含め、見方をいう意味もあり、専門家の目で見ることを指す。眼とも書くが、眼が肥えるのように、多くのものや行動を見て、価値の見分けがつくことで、判断力の意味もある。
物事の判断力は、眼から入る情報が多く、人の振り見て我が振り直せと言われように、経験が大切なことと、比較対象する状況や行動はただ見過ごすのではなく、その状況や行動の原因をどう判断するのか、一歩進めて考えることが重要と思われる。
不動明王なども第3の目を持つものもある。三つ目である。お釈迦さまや如来と呼ばれる仏像も手のひらに目を持っている。広く衆生のことを見るということであろうか、インドの女性も眉間に赤い目のような印をつけている。化粧だけではないと思われるがそれなりの意味があるのであろう。動物、特に昆虫は複眼という機能を持ち、角度を変えてものを見ることができるし、蜘蛛は11もの目を持っているといわれている。
また、古代エジプト文明では、ハヤブサの目をホルスといって、幸福、繁栄の象徴として護符などに使用された。目にまつわる話で記憶にあるのは、人間はなぜ目が左右についているかということである。機能的には視野を広げることであり、360度は見えないが、片側の目で最大は200度以上は見えるようになっている。首を左右に回すことによって、ほぼ360度を見渡せる。首の動きを固定すると上下の範囲よりも左右の視野の方が広いことが分かる。
そのことで目が左右についている意味は、目線を上下にばかりみるのではなく、左右をよく見て、同僚や同職位にある人の行動を見なさいというわけである。お察しのように、組織にいると上向志向が強く、競争社会であるためでもあるが、上にはへつらい下には厳しい見方を戒めることを意識した言い方であろう。
一見しただけで決めてしまう思い込みもよくないことにつながる場合もあり、人物評価についても多面考課が取り入れられた企業が多くなっている。評価には悪いところが目につき易いが、良いところもあるし、できるだけ良い面を見て、そこを伸ばすように働きかける必要もあると思っている。