イソシギは年中この地で生活しています。
外科に通って10日目になり、今日は3針縫った人差し指の抜糸であった。時間にして2~3分、全く痛くもなく、難なく糸が抜けると感心した。傷口はきれいに縫い合わされ、見事という他はない。医者にお礼をいった。外科医はどちらかというと職人に近い。人体の蘇生力をよく知っていないと手術もままならないであろう。得意そうな外科医の表情は、物づくりの職人が見せる笑顔と同じであった。
右手の人差し指が使えなかった10日間は、水に濡れないように気を付けたが、サランラップを巻いての入浴や洗顔は、左手しか使えず、濡れたタオルを絞るのに苦労をした。もちろん利き手が、普段何事もなく使えるのは不思議な気分であった。古くから両手が違和感なく使えるのがよいといわれていたし、文字を書くときも意識して左手で書いてみたが、うまく使えないのである。箸も左手でもって食事をしたこともあったが、力が入らず、うまくつかめなかった。
脳の活性化のために左右の指や手の使い方を交互に出来るようになれば、今回のような右手が使えなければ左手でと思うが、長年利き手が行うことを左手が同じようには出来ない。両手を事故でなくした方が、足を使って絵や字を書く人を見たことがあるが、全くなければそうせざるを得ないため、使えるようになるのであろう。これも訓練で出来るようになるのであろうか。
ロボット開発でも人間の手の動きをティーチングするが、卵を持つことが出来るようになるのには簡単ではないそうである。感覚を加減するのであるが、素材によってどのくらいの力が必要になるのかは、経験の積み重ねが必要のようであるが、人間がいとも簡単に出来ることは実に興味深い。人間の身体が持つ様々の動作が、簡単に思えても、人工知能を駆使しても人間以上には出来ない多くの動作があることは分かっている。
今回は人差し指が使えなかっただけでも苦労したので、これからもそれを教訓とした不注意によるケアレスミスをなくす努力をしなければならないと思った次第である。年齢を重ねることで、身体の機能が思うようには動かなくなる。判断力ですら老化するといわれている。オートマチック車が全盛となり、シフトを使ったギアチェンジの車はほとんど無くなっている。そのことが、アクセルとブレーキを踏み間違え、事故の原因となっているようで、事故を起こしてからではおそい。
日頃から身体機能の維持のために物事に取りかかる前には、準備運動を欠かさないようにしようと思っている。