港区にいる弟夫婦と女房とともに4人で、弟の誕生祝を兼ねて新宿で待ち合わすことにした。久しく会っていなかったが、交通の便を考えると、待ち合わせる場所としては丁度よい距離にある。今回の会場は、高島屋の14階にあるベルギービールを供するレストランである。自分は初めて行く場所であったし、新宿駅南口のバスターミナルができてから初めて訪れた場所である。午後5時の待ち合わせには、いささか混雑していた駅前であった。
通りすがりの若者の多くは、外国人と思しき集団である。話す言葉が日本語ではない。まるで外国にいるようであった。季節がら薄着でど派手な衣装を、新宿独特ではないであろうが、ファッション雑誌から抜け出たような洗練さを感じる。新宿駅周辺は国際都市にふさわしい一面を持っている。スーツケースを引きずる集団は中国人のようであった。
新宿は高校時代に高校が新大久保にあった関係で、3年間通い、その中継地点であったため、なじみ深い、といっても既に50年前のことで、その変貌ぶりは昔の尺度では表現しづらい。今ほど人口がいなかったのかもしれないし、地方の繁華街とさほど違いはなかった。この50年間に西口の飲み屋や、東口の中村屋へは毎年のようにいく機会があり、JICAも南口にあったころは仕事の関係で何度か行っていた。その時はそれほど多くの外国人とは遭遇することはなかったが、今回行って、ずいぶん外国人が増えていることが分かった。
ベルギー産ビールで乾杯をし、お互いの息災を祝うとともに、68歳となる弟の息災を祝った。話す話の多くは健康に関することであるが、無精をしている身にとっては耳が痛い話が多く、聞くふりをしていたが、いやなものである。健康に勝ることはないし、女性陣にとっては、日頃より心配をかけているし、反論できる立場ではないことも承知していて、いわれていること一つ一つはもっともなことである。
飲み薬に頼る生活は避けたいが、この年になって、薬も生きる糧である。症状が改善する兆しがなければ薬に頼ることもありうるとの自戒の念であった。まあ、親より早死にしなかったことに、光明を見ることにした。そういえば、同期生の訃報と背中合わせ、飲めることにどうにか自分を取り戻し、健康でいられることに感謝した次第であった。