さらし場で飛び回っていたイソシギです。
世代が交代する運命にある人類、先人が学び、蓄積したノウハウを効率よく後世に伝えるには、多くの知恵があり、様々な方法がある。それらは情報という形をとり、公開か非公開かは別にして、現在もその蓄積は日々増えている。情報は莫大な量であるが、幸いにして、容易に取り出せるようになっている。情報社会がどのような媒体を使ったとしても、検索の困難性や、費用がかかるようであれば、誰にでも、いつでも取り出せ、使えるという、いわゆるユビキタス社会とはならず、情報の蓄積量を増やすだけでは目的を果たしたとはいえなくなる。
教育は、先人が行った多くの出来事や足跡のうち、現代社会に有用と思われる内容を、効率よく次世代に引き継ぐ大変重要な行為であろう。体系化され、関連付けを行う過程を踏むが、これは情報加工といわれる分野であり、概念を段階化し、理解しやすいように工夫されてきた。情報を伝える仕組みについてみると、主たる制度は教育者のもとでの学校教育制度である。ご存知のように、小学校中学校は義務化されている。知識偏重といわれているが、常に基準である学習指導要領等は、時代変化に追従するように見直しが行われ、強制的な学習手段となっている。
時代の流れもあり、高度化した社会を形成するには、小中校にとどまらず、大学、大学院までの教育機関がある。一般的な就学は、6・3・3・4年の16年間の教育機会は我が国の中核的な人材を輩出してきている。就学後は、社会人として職業につき、労働に従事する。
どの職場においても、何らかの専門性を必要とするが、多くの場合は、仕事の内容を深めるために、新人教育や、OJT,OFFJTが行われ、質を確保してきた。制度の変革の定着には、ある程度の時間経過が必要で、常に同じ形を維持しているわけではないが、最近の傾向として、高度化した社会の維持、発展には、従来の経験では対処できない面が出てきている。必然的に、国や企業等組織が要求する技術・技能・知識は変貌するし、効率化や、生産性等は高度化に向かう。
いつの時代でもいえることであるが、では、どのようにして、世の中の変化に追従し、期待や要求に満足できる人材を作っていくかが問われることになる。自分が経験した時代背景や、専門性ですべての業種やノウハウを説明することは難しいし、少子高齢化の時代には矛盾も出てくる。まして膨大な情報量から適切な解を求めることすら困難な時代に果たして的を射た内容を出せるか心配であるが、何らかの方向性を見出すよう努めたい。