結局苦闘しながら飲み込みました。驚きです!
社会の中で人は学んで成長する。学ぶイコールまねるである。その顕著な例は言葉であろう。人、高等生物まで広げてもよいと思われるが、母親の体内にあったときから音を聞いていて、言葉につなげていく過程では同じ言葉を何回も耳にし、周囲の状況等と重ね合わせることによって、言葉の意味を知り、己も声を出してまねていく、学ぶのであり、繰り返すのである。
訓練は体感し、同じことができるようになるまで繰り返す。習熟曲線なるものがあるが、訓練を行うことを意識して行うとすれば、子弟の関係の場で、グラフにすると、縦軸に習得度、横軸に時間・回数を取ると右肩上がりの曲線となる。途中、いくつかの段階があり、プラトーというなだらかな曲線が数回現れる。スランプといってもよい。習熟が進まないのである。最初は、急なカーブを刻むが、途中に止まるところがある。これを脱するとまた急カーブとなる。
この習熟曲線は、年齢、興味の程度、提供される機会、指導者の有無等によって異なり、学ぶ対象の難易度によっても遅速が異なる。つまり、条件の与え方によってその展開が異なるため、できるだけ環境に考慮し、指導者を選び、学ぶべき機会を適切にコントロールしていかなければならないが、本来的に生まれながらにして親等から授けられた遺伝子の働きも無視できない。あまり先天性をいうと、後天的な学校等の教育を否定することに通じるため、断定しないことにするが、とにかく、成功体験の影響が強く影響するといえる。
興味を存続させるということなのであるが、競争させることで、対抗意識が生まれ、新たなステージへの呼び水となるのも確かなことである。さらに付け加えれば、達成目標を与え、本人が少しの努力で、その達成目標をクリアさせることを意識して行うと、本人の習得進度にあっていれば、次のステージの目標を与えるのである。この時もあまりにも達成が困難な課題では逆効果になりやすい。一般的にいわれるステップバイステップである。このことは階段をイメージすることもある。
実はなぜこのテーマにしたのかは、小学校3年生になった孫が地域の空手選手権で年齢別・クラス別の競技会で優勝したのである。また、大人を含めた参加者の中で、MVP(最優秀者に贈られる)に輝いたのである。経験年数からすれば5年ぐらいだと思うが、今の帯は有段者の黒と無段者の白のほか多くの色別があるようで、8本の帯をクリアしたらしい。将に習熟にあった学習が行われた結果である。