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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

都知事選挙への思い

2016年07月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 東京都知事選の立候補者が揃いつつある。今日はニュースキャスターの鳥越俊一氏が立候補を行った。野党の与党対立候補として抜擢されたようである。人物は野党がス推薦するとしても、立派な人物として、知事に選ばれるとすれば、都政を引っ張るにふさわしい人物と思われる。芸能人が悪いわけではないが、人気で都政を引っ張ることは不可能であろう。都民の反応はさまざまであるが、願わくは、スキャンダルに染まることがない人物を選んでほしい。

 

 お笑い芸人が悪いわけではないが、果たして組織のトップとしての行政能力から推量すれば、何も冒険を犯す必要はなく、単なる芸の世界でちょかい出すなといいたい。気はバラエティ番組では良くても行政に役立つかといえば、全くの筋違いで、東国原にしても、宮崎県知事を経験したとはいえ、そのレベルが都政に通じる保証もないし、座興で済ませることではない。東京都も不幸な知事を暦年続けてきたことの愚かさを感じている。逆のいい方をすれば、誰でも知事は務まるという、誤解を生んできたことである。芸能的な人気が、そのまま都政のトップとして務まるわけではないことは、すでに承知されている事実である。

 

 石原、猪瀬、舛添とよくもこの程度の人物を都民が選んだものである。案の定、都民の立場で都政を引っ張ることはできなかった。金銭欲や、私欲にまみれた引き際のふがいなさは記憶に新しい。知事は知事選によって選ばれるし、都議会のトップとして君臨する。しかし都議は都議戦によって選ばれるため、そこに埋め尽くしがたい組織上の権限の不透明さを感じている。一層のこと、都議選で選ばれた議員の中から知事を選べばよいのではとの邪推が働く。選出システムについては知る由もないが、なぜか漠然としていて、その手法は全国に及んでいる。

 

 二重行政とまでいわれるこの選出方法に対し、都民や他の知事を選出する側の疑問はないのであろうか。責任分散と組織運営は異なることは最初から分かっているのに、なにゆえに知事と議員を別々に選ぶのかが理解しがたい。日本人の綱渡り精神がなせる技としても、国際的に理解が得られているのか疑問だらけである。

 

 そのことはさておいて、選挙制度が持つ多数決方式が相変わらず、まかり通ることになるが、施政方針の演説やその機会がなく、短期のうちに都議選が企画されている。実際には候補者が考えるそれぞれ異なる都政に対する思いを、ぜひ公開の場で語ってほしいと思う。そのことなしの人気投票であれば、将来の都政に禍根を残すこととなるのは明白である。