鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

責任の所在(その3)

2015年09月08日 00時00分01秒 | 紹介

  五輪組織委員会における責任の取り方が問われている。政府から特命を受けて開設されたプロジェクトであり、政策を実行していくためには、専門家の知恵を借りる外注、すなわち、多くの委員会がある。協議会、審議会、検討委員会、作成委員会等、名称は異なっても、目的に応じ、部外者が入って構成する委員により、設置期間中に一定の成果を期待する俄(にわか)組織である。

 

 主催者は候補者を予め、選定し、所属先に対して委員の推薦を依頼する。ご指名を含めて、文章での 依頼である。委員会をサポートするのは事務局で、数回の委員会開催で一定の結論を出し、報告書等成果に纏められて、目的等の任務を果たすことになる。一定期限内での開催で期限を持ち、委員は外部からの調達であるため、主催者との別途契約である。不祥事の責任は、委員から選出された座長が総てを持つわけではない。委員会構成メンバー全員であるといえるかも知れない。

 

 今回のエンブレム問題では、投票を集計して決めたようであるが、賛成投票を入れた委員に責任を押しつけるわけにはいかず、委員会に責任があるとまではいえなくなる。では委員選定に問題の根源があるとして良いかも適切ではない。常に責任者を絞ることが出来ないのである。多数決が持つ隘路であろう。委員会の位置づけは、既に事務局が持つ結論に誘導するための方策の結論ありきで、その正当性を補強する、又は権威づける手段でもある。多くの専門家が同意した形が大事なのである。

 

 そもそも委員会等のプロジェクトは責任者の所在を明確にすることではなく、合意形成の手段であり、そうしてきたのは、無責任体制としての意識は薄く、責任体制という意識すらないのが普通であろう。

 

 集団による意志決定は村社会がベースにあり、村の長をトップとした集団が形成されたと捉えると、運命共同体として、派閥そのものの流れを汲む。長(おさ)に対しては絶対服従であり、村内のトラブルはその解決を一任され、村八分以外は手打ちで終わる。トラブル当事者間に立ち入り、和解への方向を導き、当事者双方が傷を負わない形で治めるのである。すなわち、責任の有無に対しての判断に馴染まない、異論を遠避け、組織の分裂を防ぐことに意味があり、責任の不明瞭さを孕んでいる。

 

 組織体の基本は村社会と同類であり、不祥事発生後の意志決定には同じ轍を踏む。長老と呼ばれるご意見役は、対外的に監事なり、顧問が担当するが、組織の中枢ではなく、責任者の立場ではない。欧米のような訴訟社会ではないため、トラブル解決に対して弁護士が当たることは常態ではなかった。あっても稀である。このことを善としてきた慣習が今のネット社会で通じるかどうかは微妙である。何事も白黒でしか判断出来ない社会が、必ずしも快適で、最適であるとはいえない。(このシリーズ最終回です)


責任の所在(その2)

2015年09月07日 00時00分01秒 | 紹介

  欧米と異なる組織の意志決定方法はトップ→ダウンではなく、ボトム→アップであり、ボトムの稟議書による合意形成が責任者不在、責任回避の理由の一つとして指摘しておきたい。

 

 責任者不在、責任回避との一般の認識は、組織外の者にとって、大変分かり辛く、まして、組織の仕事経験をしてこなかった者にとってはなおさらである。例えば、一人親方とされているジャーナリスト、コメンテーター、研究者、芸能人、作家、教育者、個人経営者等、専門職としてピラミッド組織ではない、どちらかと言えば文鎮型の組織の経験者は不思議な世界と捉えがちである。

 

 非正規労働が拡がる中、現在も年功序列型賃金体系の公務員や団体職員は大部分が成果主義、業績主義とは無縁である。当然責任の取り方は異なる。非正規労働の場合は、不祥事発生で、契約解除となり、雇用元が責任を全面的に引き取り、多くは、保険に加盟しているため、弁済も交通事故と同様な対応が成されている。問題なのは終身雇用制といわれた雇用契約が不透明な、いわゆる正規職員の場合である。

 

 仕事にまつわる不祥事が発覚すると、所属部署、人事部署が全面的に対応するが、職責に応じて、業務の範囲が決まり、責任の範囲も連動している。表面化することは殆ど無く、粛々と対応が決まる。始末書で終わる場合もあり、解雇に至る、それも懲戒解雇になる場合は極めて稀である。減俸・降格等企業によって対応も様々である。職員の対面を考えての配慮があり、人事異動時期に合わせて転勤(左遷)、ジョブローテーション等で措置し、辞職勧告を行うことは稀である。

 

 管理職の場合は、自発的な辞職もある。引責理由によって各種のパターンがあるが、上位職になると謝罪会見後に、不祥事の原因を究明し、組織の再建に傾注したい等の訳の分からない引責もある。古くは、不祥事は腹切りか、島流し、閉門蟄居とされ、沙汰が下りるまでは行動に制限が加わり、罪人同様であったようである。再起は不可能であり、沙汰によっては打ち首、獄門、市中引き回しと再発防止は手厳しい処罰があったとの歴史記述を持っている。(次回へ続きます)


責任の所在(その1)

2015年09月06日 00時00分01秒 | 紹介

 不祥事の責任所在について考えてみた。責任所在の不明確さの原因についてである。不祥事が起こるのは我が国だけではない。責任のある立場にある者は何らかの基準で、責任の所在が明確になれば、責任を負うことになる。責任を負うとは謝罪だけで済むものではなく、不祥事に伴って発生した損失を弁済し、併せて慰謝料を支払うことになる。

 

 米国のレストランで、ウエイトレスが客の食事の後、片付け中にコーヒーカップを床に落としてしまったが、自分のミスを認めると弁済義務が生じるため、日当から差し引かれる。そうならないために、日本人では考えられないような理由をいい、己の責任を否定する。実際に遭遇したことである。つまり「このコーヒーカップは落ちて、割れる運命にあったため、勝手に落ちた!自分には責任はない」と言ったのである。責任を回避することの短絡的な理由付けである。責任回避のための可能性を探る努力は見上げたものである。この理由は屁理屈に通じ、誰が信じるであろうか?

 

 逆に考えると、不祥事の責任回避が行える算段を、前もってして置くことの一つとして、責任を曖昧にする知恵が生まれたのも、まんざら嘘ではないようである。事件を有耶無耶にし、時間を稼ぎ、時間が解決してくれるという類(たぐい)である。責任者が雲隠れする、緊急入院、海外出張等の行為は一種の責任回避の巧妙な算段である。

 

 組織の長が責任を曖昧にし、責任を取らない方向が生まれたのは組織自体が構成員である各人を守るという信頼関係を醸成してきたことの結果なのであり、それがロイヤリティ(忠誠心)を育んできた。そのための意志決定の仕方は我が国独特なものである。組織は一般にピラミッド構造を持ち、意志決定の仕方は稟議書による組織全員の合意形成が行われる。

 

 不祥事が発生した場合、個人的な意図を持って不正を行わない限りにおいて、組織全体にその責任が及ぶのは至極当然ともいえる。それを最小限にする道、つまり、組織の業務方法に責任を分散させ、担当部署に責任が集中するようにし、稟議発生部署が責任を取る体制となっている。これで、ピラミッド全体に責任が拡がることを防ぐ。担当部署だけでは済まない重大な不祥事の場合はトップまで行くが、通常は担当部署の足きりで済んでいる。謝罪会見等はその現れで、一種のパフォーマンスに過ぎず、引責辞任後の顧問や、会長の座に居座るのは、引責の意味すら不透明である。(次回へ続きます)


隣国韓国

2015年09月05日 00時00分01秒 | 紹介

 国際政治は専門ではないので、残念ではあるが、正確なことを申し上げられない。最近の隣国韓国が経済危機に陥る様相であり、韓流ブームで盛り上がった日韓関係も今はその熱も冷め、日本からの旅行者は激減し、韓国産キムチの消費も低下しているという。韓国と我が国には竹島の領有権問題があり、韓国大統領との首脳会議は1回も開いていないし、慰安婦問題についてもぎくしゃくした関係となっている。中国の戦勝70年を迎えて、軍事パレードが昨日行われた。安倍首相の出席はなかったが、韓国朴大統領が出席している。

 

 韓国は戦前から終戦(我が国がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏するまでの間)に至るまでには我が国の一部であり、戦勝とは無縁のはずが何故出席するのか疑問を持った。また、中国共産党が中国で政権を持つのは戦後であり、戦後中国の政権争いに負け、台湾に渡った国民党であったと記憶している。ゲリラとして中国で我が国と戦争状態にあったのは毛沢東が率いる部隊であり、現在の共産党ではない。当時の中国は中華民国といっていた。

 

 連合国との戦いは、昭和17年(1942年)6月のミッドウェー海戦で打撃を受け、8月にはガダルカナル島の上陸によって連合国軍が攻勢となった。翌年(1943年)9月に枢軸側のイタリアが連合国に無条件降伏し、翌々月に、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中華民国の蒋介石総統はエジプトカイロで、カイロ宣言を発表した。これがポツダム宣言の元となったのであるが、この三国同盟で日本との宣戦布告である。この中に、満州、台湾、ぼう湖島等中国から奪った一切の地域を中国に返すこと、併せて、朝鮮を自由独立させる決意が決められた。

 

 一方韓国については、日露開戦直後、日韓議定書が取り交わされ、韓国は日本の保護国で、同盟国となり、ポーツマス条約後、明治39年(1906年)総督府が置かれ、初代は伊藤博文が総監であった。1909年12月にハルピン駅で、韓国人安重根に暗殺される。1910年に韓国併合条約8条が調印され、以後、韓国は朝鮮と呼ばれ、先にも触れたが、太平洋戦争が終わり、ポツダム宣言受諾まで、日本の一部を構成していた。その意味では朝鮮と我が国は戦争状態になったことはなく、中国の戦勝記念軍事パレードに韓国の朴大統領が戦勝という意味で参加する意図はよく分からない。

 

 中国の習近平国家主席は、式典の演説で、歴史を曲げることは許されない等といっていたが、こちらの方も何処か自分の認識とに齟齬があり、実に妙な要旨内容であった。隣国の状況はフィルターが厚く、真実は遠いところにあるようで、グローバル化にはほど遠い気がした。


五輪エンブレム後日談

2015年09月04日 00時00分01秒 | 提言

 白紙撤回が世の中に投げかけるに至った背景は、不動と思われた決定事項が覆された失態である。多くのコメンテーターがネット社会の成熟化による画像等の検索、閲覧、取り込み、模倣、加工が容易となったことを指摘しており、案件が浮上してエンブレムの応募条件、選定方法から決定に至る過程が、非公開でなされ、オープン化されなかったことが問われている。

 

 白紙撤回によって、振り出しに戻ったわけであるが、今日までに費やした労力が大海の藻屑となったことや、既にエンブレムが公開された後に広告の利用に着手している企業等では、取り下げによる損失に対する責任論が浮上している。責任論の矛先は、エンブレム原作者、選定委員、大会組織トップ、関係者全員に及ぶが、責任の所在が明確でないという指摘もあり、その所在を突き止めることから始めるようである。

 

 同様な案件の再発防止はよいが、今後どれだけその教訓が活かされるのか疑問である。なぜならば、今回の問題は過去にも同様な例があり、今に始まったことではないからである。そのことは既に、このブログで指摘してきたことである。責任を果たさなければならない対象者は、一時期、本人の名声、名誉、利権等を得た方々で、日本人が持っているある種の競争意識、勝利者になる欲望、自己満足が、先鋭化し、歪曲化されて現れた顕著な例である。決して特異な例ではなく、日常どこでも起こり得る事象である。

 

 個々の問題はほぼ出揃っていて、今後新たな理由は限られると思われる。この種の問題は、組織が持っている責任分散のメカニズムであり、責任回避方策なのであろう。しかし、同様な事柄が起こるリスクをどう減少させるかを問題視する方が得策のように思われる。

 

 原作者のパクリ問題はそれ自体が犯罪行為であることの過ちを率直に認めないオリジナリティと正当性の固持や態度、及び、同類のパクリを起こしたスタッフに責任を押しつける管理者としてあるまじき行為はもはや虚飾の世界を証明したことに他ならない。当然、パクリによって生じた損害は返済しなければならない。

 

 大会組織委員会は文科省の下部組織であり、リーダー不在の責任回避の顕著な例であり、最も厳しい追及が必要であろう。口では国民のため税金を使わせて貰っているなどといいながら、職位に付くと謙虚さは消え、横暴な権力者として采配を振るうことが出来るという錯覚があるようだ。組織はアメーバであり、唯一存在する自浄能力が、不要な部署を容赦なく切り捨て、不要となった構成員は抹殺する。組織自体は存続し続け、増殖する。責任を追及されても、本来、有耶無耶にする機能を持っているのである。牙城を切り崩すのは厄介である。


防災の日に寄せて(その2)

2015年09月03日 00時00分01秒 | 紹介

 過去に自然災害があった場所は、地域であり、地盤であり、活断層であり、排水や、地質についてはある程度調査が出来ている。幸いなことに、天気予報の精度が上がっていて、地球規模での状況が提示されるため、台風や、風水害、日照り、干ばつ等は予想が付き易くなっている。自然災害では地震と火山噴火が予知不可能であるため、当面、そのつもりで対処せざるを得ないであろう。住居の耐震性は簡単には強化することは難しいが、水屋、本棚、タンス等の固定であれば、簡単に出来る。余り複雑にすると、普段使うのに、面倒とはなる。ガラス類は、水屋から飛び出さないストッパーを付ける等の措置も必要であろう。

 

 自宅の地下に活断層が走っていることが分かれば、転居もやむを得ないと思うが、簡単なことではない。どのように対応するか家族と相談すべき事柄と思う。悩ましい話であるが、海岸に隣接した家屋では、津波の被害があるので、過去に被害があった場所では居住場所としては不適切であり、防潮堤だけでは限界があることも事実であろう。

 

 地震が来れば柱が多い部屋や、机の下などに安全な身を置く場所を確保するが、調理中で火を使っていれば直ぐに火を消し、地震が収まってから行動する。逃げ道も確保しておかなければならない。外の状況も見ないで飛び出るのも良くないが、サッシの扉は開けておいた方がよい。

 

 災害時の避難と支援は、二次災害が起こる可能性、共倒れとなる可能性、自助と共助はついて回る難題である。公助の方は、多くの対応があるが、個人情報の保護との係わりで、難しい状況となっていて、災害時の対応について、それこそ想定問答集を作っておきたい。その意味も含め、整理しておいた方がよい。

 

 共助は人間としての絆や思いやりが被害を広げる恐れがあり、何処かで線引きすることが必要となるであろう。自らの命を大事にすることは当然であるが、自助が不可能な高齢の家族であり、障害者であり、いざというときに近所の状況が分からないと助けられる人までも失うことになりかねない。災害の程度にもよるが、一人でも多くの命を守る算段を考えておかなければならない。(このシリーズ最終回です)


防災の日に寄せて(その1)

2015年09月02日 00時00分01秒 | 紹介

  防災の日は大正12年に発生した関東大震災を契機としている。地震が発生した日でもある。防災について考える機会として、年に1回の特別な日である。組織を離れると、地域の防災について気にかかるところであるが、特段の防災行事もないため、自身の周りについて考えてみたい。広く考えれば危機管理となるが、想定もままならず、自宅の管理でも行っておこうと思った次第である。自宅には夫婦と愛犬しか居ない。非常時の持ち出し品、非常時の備品は平素から最低限は準備しているが、今回重点として、懐中電灯のチェック、緊急放送が聴ける携帯ラジオのチェック、灯油ランプや、ガスランプ等の燃料のチェック、非常用ポリタンクの水道水を交換、非常食品のリストアップ等を計画した。

 

 元来、災害は突然襲ってくる。想定が出来ないのは、自然災害の予知が不可能であることが、火山の噴火、巨大地震、人的な災害等が、専門家自らの反省から、想定出来ないという発言が成されてからである。災害が起こった後の分析や、解説は耳にたこができる位に聞いているが、予知を目的とした機器類の設置は行わないよりはましかといった程度であることは、何とも不安をかき立てる。

 

 多くの研究者は、過去の自然災害の痕跡から、周期説や、再現性を強調するが、ではどのくらいの精度で、また、確率で発生するかとの質問には、確信を持って答えたためしが無く、占い師や祈祷師と何ら変わらない戯言を繰り返してきたのが実態では無かろうか。潔く、真実について語らないのも情けない話である。所詮、我が身は自分の判断でしか守ることは出来ないのである。かといって、何も対応しないで居ることを推奨しているわけではなく、日頃からの危険予知は当然行っていなければならない。そのためには、予兆をどのように判断するかに尽きるが、経験していなければ、予兆も判断出来ない。(次回へ続きます)


結ぶ

2015年09月01日 00時00分01秒 | 紹介

 ロープワークという分野がある。生活することにとって結ぶことは切手も切り離せない基本技能であろう。先ずは、男女の出会いは結婚という形が生まれる。恋愛の結果であり、事前契約とでもいえる結納が両家の結び付けを形の上で示す儀式である。結縁が生まれる。結縁は(けちえん)ともいわれ、仏道にはいること、仏と縁を結ぶことを意味するときにも使われる。結団や結社なども日頃から目にする言葉である。人が集まってグループ化し何かを行うときは結集し、結束し、結成する。結末、結果、結論、結審等、多くの事象で結という言葉が使われている。

 

 言葉の意味はつなぐ、互いに関係を付ける、ゆわえる、縛る、束ねる、約束する、作る、集まる、終わる等広い意味がある。ロープワークは、縄やひもを結ぶことで、結索することである。吉の転音から来ているようである。

 

 生活や職業の世界から見ると、引越の荷造り、小包や荷物の移動には、物を束ねるひも状の物が利用される。ひもは手の器用さだけではなく、目的によってどのような結び方を行うのか、予め知っておかなければ目的を果たせない。例えば、魚釣りで釣り針にナイロン糸(テグス)を結ぶ場合は、釣る魚に応じて、結び目を魚に気づかれないように、また、釣る魚のファイティングに負けないような針から解けない結び方をする。

 

 小包は最近段ボールで、ロープやひもを使い縛ることは無くなったが、引越などでは段ボール箱を人力で移動させる場合もあるので、簡単に解ける結び方をする。アルバイトで覚えたのであるが、トラックに荷を積んで、カバーをした後ロープで荷を固定するが、このときは南京締めといった固定は強固に、結んだロープは簡単にほどけるように結ぶ。結び目を緩める操作は、ボートや船をブイに固定し、又は出航のために結び目をほどく操作が必要で、多く利用されているのが舫(もやい)結びである。

 

 電気コードを結ぶこともよくある。結線というが、結び方が悪いと結線した部分で、発熱し、電気火災を起こす場合もあり、半田で固定するなど導通をスムーズにする必要がある。

 

 父親が生前船舶関係の仕事をしていた。船舶や、漁業に従事する方はロープワークが必須であり、父親は左利きであったため、苦労したようである。ロープワークは生活する場面でも遭遇するが、日頃から練習しておかないといざというときに使用出来ない。9月1日は防災の日であり、人命を救助する場合も1本のロープが人命を救助するのである。