鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

今どきの通夜

2015年09月15日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 友人の通夜が昨晩7時からご自宅地域のセレモニーホールで挙行された。自宅からJRと京王線の乗り継ぎ駅で、特急に乗って、約40分で橋本駅に着いた。駅周辺はイオンが進出し、リニア新幹線の停車駅とのこともあり、機能的な環境へと変貌していた。橋本駅に遊歩道で直結したセレモニーホールは、通夜へ臨席する喪服姿の弔問客が参集していた。

 

 会場は4階であるが、1階で、葉書大のカードに氏名等を記入した。4階では受付があり、弔問者の差し出す香典と引き替えに引き出物のカードを渡された。通夜会場のホールは正面に祭壇があり、にこやかに笑う友人の遺影が置かれ、生前好んで歌っていた石原裕次郎の歌謡曲が流れていた。7割ぐらいの参列者は安置された友人の親族と弔問客であった。既に弔問客は椅子に座っていて、知人に挨拶をして自分も着席した。

 

 葬儀社の従業員が弔問客の誘導や、式の準備に動き回っていたが、逝去した友人の死亡原因についてと思われるが、数人のグループではひそひそ話が聞こえた。スピーカーからは通夜の進行についての説明がなされ、暫くして導師が入場した。指示通りに合唱して迎え、恭しく導師の読経が始まる。予定された時間は40分である。拍子木を強く打ち鳴らす禅宗の一派である曹洞宗の導師は亡骸に対して引導を渡しているようであった。

 

 喪主であるご令嬢の長女から焼香が始まり、親族の焼香が済むと焼香台が増やされ、4名ずつの弔問客の焼香である。焼香が済むとそのまま隣の部屋へ誘導され、立ち席での厄払いを目的とした精霊落としで精進料理を口にした。読経が始まって15分後のことである。弔問客が多くいたので、待っている客との入れ替えで、出口で引き出物を貰い、会場を後にする。葬儀社から式の始めに伝えられた時間は精霊落としを含めての時間であった。同じ大学を卒業した知人と、別席を探し、イオンの食堂街の居酒屋で合流した。

 

 一連の流れがまるで、多量生産であるベルトコンベアー方式であったことに驚いたが、今どきの通夜は自宅で弔問客が夜通し、死者の弔いを行うのではないことは分かっていたが、味気ない儀式となっていた。せめてもと思って、参集した居酒屋での宴は、献杯から始まり、生前のエピソード等で、逝去した友人の霊を偲んだ。

 

 自宅に戻り、清めの塩を身体にふりかけて通夜は終わったが、死者を悼む気持ちと厄落としとが混在する慣習を率直に受け入れられない気持ちは何とも切ないものである。


朋友の逝去

2015年09月14日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 訃報が突然舞い込んだ。それも大変仲が良かった大学時代の同期生である。同期生は100名程度卒業し、既に卒業後47年が経過したが、浪人も多かったので、73~69歳になっている。正確には分からないが鬼籍に入った同期生は、20名を下らないであろう。

 

 急逝された友人は、関東在住の同期生を中心とした同期会の幹事であり、小生もその一人であったため、3名の幹事が落ち合って打ち合わせを行うこととしていた。訃報の連絡をくれた幹事の話では、何度か本人と連絡したが不在で、連絡を取ることが出来なかったと言い、ご家族と連絡が取れて、逝去したことを知ったと話していた。本人の体調が悪いことは昨年の幹事会(同期は10コースあり、各コースのお世話役である)でお会いした折りに知っていたが、今回亡くなったと知り、信じられない思いである。

 

  本日、通夜が、ご自宅近くのセレモニーホールで行われることになっている。明日は荼毘に付され、告別式がある。既にご令室は十数年前に他界され、ご自宅の近くに住んでいる3人のご令嬢は嫁いでいるため、ご令室の死後は一人で生活されていた。所謂、独居老人ではあるが、設計の仕事は続けていて、ご長女と会社を切り盛りしていたし、地域の老人クラブの世話役として活動されていた。60代最後の年は、体調の変化も歴然であることは、自分も感じるのであるが、おそらく、他界されたご令室が呼び寄せたのであろう。

 

 大学卒業後は、地元に進出した新日本製鐵の子会社に就職し、幹部候補生として早くから企業の中枢を歩み、中国への販路開拓に従事されていた。我が国の企業が中国へ進出する初期の段階で、現地の駐在との往復を重ねていた。独立したのはその後だったと思うが、多くは前任企業の仕事が多かったようである。自分も大学の恩師夫妻と女房とで、上海、蘇州を回る旅行の際に上海に立ち寄り、上海蟹を供する人気の現地料理屋で本人と歓談したことがあった。

 

 本人は中国語が決して堪能ではなかったが、そこは良くした物で、日本語が分かる通訳を雇っていて、日常の細部に亘るまで兼務させていた。暫くしてから、大学の近くに料理屋を開店し、店はご令室が取りしきっていて、時々は調理場に立っていたが、もっぱら、毎日寄る我々等の飲み相手で同席して、店に寄ったお客との飲酒を楽しんでいたようである。亡くなった理由では、思い当たることとして、自分の会社と店の両方に携わっていたため、体力を使いすぎた嫌いもある。


洪水後の多摩川

2015年09月13日 00時00分01秒 | 日記

平成27年9月12日 

 長く続いた悪天候から昨日、今日と、晴天に恵まれ、久しぶりに多摩川へ野鳥の撮影に行って来ました。日中は30度近い気温で、湿度もあり、快適ではありませんでした。水の流れは水量が多く、濁った水です。大分中洲の様子が変わり、護岸から更に遠くなったようです。雑草は見事に流され、縮小した中洲には、コサギ、カワウ、アオサギが群れていて、羽を休めていました。イソシギを見かけ、トンビが上空を舞っていましたが、チドリやセキレイは見かけないままでした。

 

 釣り客も数人が長い竿をさばいていて、水流が早いため、苦労していました。早朝にマグニチュード5ぐらいの地震が東京湾であり、結構身体に感じた揺れでしたが、直ぐに治まり、棚から落ちた物もなく、被害がなかったことで一安心です。地震被害の調査でしょうか、2~3機のヘリコプターが飛来していて、中洲頭上に来ると一斉に群れた野鳥が飛び立ちます。

 

その様子をカメラに収めました。何れ、ブログでご紹介します。野鳥も豪雨が続き水かさが増えた多摩川では餌も取れずにいたのでしょう、盛んに餌取りを行っていました。カワウは集団で魚を追いつめる動きをし、水中に潜れないコサギは、浅瀬で、カワウの側に集まり、浅瀬に来た魚をついばんでいました。

 

 護岸には、流木やプラスチックゴミが流れ図に残っていて、その部分まで水かさがあったようで、二段になった部分が堤防のため、そこまでは5~6メートルはあるので、水が堤防を越えることはありませんが、対岸では20年前ぐらい前に家屋が流された事もあって、当時のことを思い出しました。現在では宿河原堰は総て可動式となり、護岸工事も時期々に行っているため、堤防も安全のようです。

 

 河川敷の整備も行われていますが、下流ではゴルフ場、野球場、運動場等が整備され、川崎市側よりは東京都側の方が、整備が進んでいます。今回の洪水でどれ位被害があったのかは不明ですが、繰り返される河川敷整備は時として無駄にも思えますが、近隣住民の憩いの場としても必要なのでしょう。下流域にはホームレス小屋も多くあり、また不法係留のボートも多く、報道がないところを見ると、うまく対応が出来たのでしょう。 洪水は、流域のゴミ掃除にもなりますが、下流での掃除のことを考えると、洪水の後始末にも人手は必要です。


災害の教訓

2015年09月12日 00時00分01秒 | 提言

 自然災害の一つである河川の堤防決壊が与えた災害は、被災者の救出がヘリコプターによって行われ、TV画面から見る限りでは、まるでフィクション映画のようでもあり、手に汗を握る救出であった。救出活動の自衛隊等の活躍を称讃すると共に、無事救出された被災者の喜ぶ笑顔は、何よりで、生死を分ける経験をされた方の真の姿でもあった。洪水が引き起こした災害の甚大さは、水が引いた後の風景を見れば一目瞭然である。復旧に向けて国を挙げての作業が続く。

 

 先ずは人命救助が優先されるが、死亡された方、行方不明の方も数十人に及ぶ。河川の氾濫が如何に怖いか、改めて肝に銘じたところである。河川の管理は十分行われてきたことと思っていたが、豪雨の影響は河川を管理する国土交通省の水量を測る部署(河川管理事務所)では、危険水量の設定値が高いような気がしたが、堤防の高さと強度についても再検討が必要になっているのかも知れない。

 

 危険水量となれば、避難情報が気象庁でも発表しているが、地方自治体にも通知されるようで、日頃からの河川パトロールは強化していかなければならないであろう。今回の豪雨は気圧配置の影響や、台風と梅雨前線との関係もあるようで、経験から降水量が分かっている。温暖化の影響で、ゲリラ豪雨は分かり辛いといわれているが、そうであれば災害に対する再発防止のために何をしていかなければならないかの対策は早急に取り組むべきであろう。

 

 特に氾濫する流域の堤防の強化は緊急性が高く、老朽化による耐水性の低下も影響しているのかも知れない。堤防が高すぎる弊害や、50年や100年に1度しか起こらないとされる豪雨に対しては、想定範囲から除外されるケースであろう。本当に除外しても良いのであろうか。原発事故で想定外の津波による4年前の震災の教訓はどこに行ってしまったのか。

 

 温暖化の影響や、環境の変化が台風を大型化する傾向にあり、ゲリラ豪雨も頻発化していることを鑑みると、想定の見直しや、堤防強化へ資金を投入するなど、豪雨災害の現状復帰だけでは満足や安心出来ない状況に対する視点が求められているようである。河川を管理する国土交通省の対応を注視していきたい。


豪雨災害

2015年09月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 台風18号が知多半島に上陸後、本州を縦断し、日本海へ抜けたが、台風から変わった低気圧は梅雨前線を刺激してか、東海、関東地方に大量の雨をもたらしている。河川の増水、洪水が発生していて、軟弱な地盤は、大量な雨を吸い込んで、崖崩れも発生している。50年に一度といわれている。鬼怒川が決壊し、常総市は水浸し、自衛隊も出動して救出に当たっている。自然災害とはいえ、一級河川の決壊は水の恐ろしさ、威力をまざまざと見せつけた。大雨の影響は今後、東北、北海道にも拡がるようである。被害の規模はこれから分かるが、被災された方々にかける適当な言葉も見つからない。

 

 洪水で河川に取り残された老人の救出をTV放映で見たが、大量の雨が、平常時の河川の水量を増やすことは当然で、何故河川敷にいたのかは不明である。限りある救出員の限界もあり、人命救助は、困難な事態もありで、災害発生時の個人の行動は、事前に出される多くの情報を知ることと、災害に巻き込まれないように、避難をすること等が求められる。豪雨後の河川や用水の増水を見に行き、そのまま帰らぬ人となった事例も多い。

 

 また、道路に放置された多くの車を写していたが、道路が川のような流れとなった場合は、車の限界を知らない無謀といえる運転が、動かなくなって放置された原因であろう。水陸両用車でなければ不可能な場所であっても車を走らさなければならない理由があったからだと思えるのだが、不要不急の状態で敢えて外出することは、自らが災害に巻き込まれても誰も救ってはくれない。野次馬も最低である。運転者の考えの甘さは、自業自得で、知らなかった、仕方がないは許されない。

 

 災害は忘れた頃にやってくるとの格言があるが、被災者にならないための日頃からの準備は、個人が対応するべき最低限の防備であることは間違いない。今までは安全であったとしても、いつ何時災害が降りかかることもあり、常に危険と隣り合わせという考えを持たなければならないであろう。

 

今回の場合では、大量の降雨がもたらす被害を予め想定することが大切と思われる。我が家では、風呂の水は夜間には栓を抜かずに貯水する。それは女房の実家で、隣家が火事となり、風呂の水のバケツリレーで鎮火させ、小火(ぼや)で済んだことに起因している。ちょっとした時間の外出にも施錠は勿論であるが、何事にも準備不足、油断の背後には、自らが被災者となるリスクを高める。


サンコウチョウ

2015年09月10日 00時00分01秒 | 提言

 スズメ科カササギヒタキ科に属するサンコウチョウ(三光鳥)は夏鳥で、我が国でも平地や山林で見られる。杉や桧のある森林を動き回り、1羽の時が多いようである。サンコウチョウは頭部から頭、胸にかけては黒く、紫色の光沢があり、上部は赤紫色の光沢のある褐色、腹から下尾部分は白色で、尾羽は紫色系の黒色。中央2枚の尾羽は非常に長い。目の周りは青いリングがある。色彩豊かな野鳥で、雄は体長45cm、雌は18cmであり、雌は長い2枚の尾羽を持たない。鳴き声を昔の人は、「月、日、星」と聞いて三光鳥としたようである。

 

 茨城県に野鳥の撮影スポットとして知られている山があり、カメラマンに人気がある。7月下旬に産卵後に雛が育っているようで、サンコウチョウ目当てに、飛来する大木の周りには、多くのカメラマンが望遠レンズを付けて撮影に興じているとのことである。朝日新聞デジタルが9月8日に配信した記事を読んだ。

 

 中高年の野鳥撮影ファンは自分も含めて多くいる。珍しい野鳥が撮影出来れば遠出してでも撮影したいと思うのは自然であろう。特に、雛に餌をやる仕草や、巣へ飛来する野鳥は、シャッターチャンスでもある。しかし、日本野鳥の会では近隣から多くの苦情を受けているようで、野鳥撮影のカメラマンに対し、マナーの向上を呼びかけている。カメラマン集団が野鳥の生活環境を悪くし、警戒心を高め、雛を育てることを止めてしまうことに繋がる。また、撮影したカメラマンが、他の人に撮影させないため、巣を壊す行為があったようである。

 

 更には、巣に向かって石を投げ、驚いて飛び立つ野鳥を撮影することや、追いかけ回す等のマナーが悪いカメラマンもいるとのことであった。道路の違法駐車、耕作地を踏み荒らす等の苦情も寄せられている。件数としては僅かであるが、マナー違反者を取り締まるわけにはいかず、マナーを守っている多くのカメラマンにとっても迷惑なことである。一部の違反者が野鳥カメラマンのイメージ低下に繋がることは必至で、大人の行動を求めたい。

 

 自分が主に撮影している多摩川ではカメラマンより釣り客の釣り針や、道糸の放置、レジャー家族のゴミの放置、若者集団が爆竹や花火をならす、撮影している場所で石投げをする等、寧ろ他のレジャーで訪れる人のマナーも問いたい。自分さえ楽しめばよいわけではないであろうが、お互いルールは守りたいものだ。


責任の所在追加(その4)

2015年09月09日 00時00分01秒 | 提言

 我が国の組織が責任を曖昧にすることに関して、その原因を組織自身が生き残る結果であるとの考えを述べてきたが、組織は何故に回避の方向を探し、正当性を強調するのかであるが、考えられることは責任を認めることによって、組織の滅亡に繋がり、担当者は勿論のこと、上司からトップに至る関係者の多くが、生活の基盤や将来の人生へ影響するからである。組織イコール個人であり、家族を路頭に迷わす。再就職の道があればよいのであるが、突然降りかかる組織の改廃は、一個人ではどうしようもなく、組織に所属する総ての人に何らかのダメージを与える。一蓮托生、運命共同体といわれる所以である。

 

 従って、責任の所在を不明確にし、誰も責任が取れない状況すれば、誰も傷つかずに済み、たこつぼ戦術を採り、頭上を通り過ぎるまで待つのである。姑息な手段かも知れないが、世間の風当たりを最小にし、風が吹き止むのを待つのである。

 

 謝罪会見の通り相場ともいうべき文言に登場するのが、人災事故などで、自然災害を強調し、実際にそうだったかも知れない。「想定外であった」こと事を繰り返し、あたかも、原因は自然が起こした猛威を理由とすることである。巨大地震や、巨大津波は、将に1000年かそれ以上の周期であるので、想定外という言葉も適合するのであろう。

 

 しかしながら、自然災害という区分に総てが当てはまるかといえばそうではなく、人災の部分は皆無とはいえない。自然災害においても、活断層の上に原発を設置することや、津波が襲う危険性のある場所に家屋を建てることは、自然災害に対して、それなりの可能性を考え、基準を作るなどの対策が求められる。突風や竜巻が起こることは、気象情報で分かっていても、その対策たるや、皆無に等しい。これは、職域範囲を守ることは正しいが、知り得た情報は関係機関等へ伝達する必要があると思う。

 

 気象予報士においても、危険性を強調すればそれだけでよいのかも問題である。山道を走ると落石注意の危険情報を表示する看板が目にはいる。注意して進めても、落石事故が発生しないとはいえず、危険性が分かっている道路管理者は、何故にその対策を早急にしないのかよく分からない。事故が起こってから想定外であったとは申し開きにならないであろう。

 

 事業を計画するときに、結果を想定出来ないからといって事業を止めるかといえばそうではない。エンブレムや新国立競技場との問題の性質は異なるが、責任者たる者は人事を尽くして天命を待つだけでは責任を全うすることにはならず、想定外を無くす努力が望まれる。