鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

市民アカデミー16前期申込

2016年02月22日 00時00分01秒 | 紹介

 先般このブログでご紹介した川崎市民アカデミー前期の申し込みが2月19日に申し込み締め切り日を迎えた。すでにパソコンから申し込みをし終えていたので、申込日を経過しても、定員に満たなかったコースは年度末まで募集を継続している。それらのコースについては逐次ホームページで確認することができる。

 

 コースの受講をしているだけであり、コース運営にかかわっているわけではないが、年々、盛況となっていて、追加募集のコースは激減していると聞いている。申し込みの受講条件は18歳以上であることのほかは、川崎市民でなくてもよいので、対象者は広い。平均して前期、後期とも10~12回の開催日があり、決まった曜日に行われている。会場についても、区民会館等数か所に及んでいる。

 

 詳細については川崎市民アカデミーでパソコンから検索されるか、地元の区役所等の広報案内で聞かれるとよい。パンフレットの冊子を手に入れると全コースを知ることができる。聴講生、1年会員、2年会員があり、受講料は若干異なる。申し込みしてもコースによっては定員をオーバーする場合もあり、その時は抽選となる。必ず受講できるという確約はない。

 

 多くのコースを申し込んでいて、受講可能という通知をもらった後キャンセルすれば、または指定日までに受講料を納入しなければキャンセルとなるとのことであるが、予め、そのようなことをあえて行うことの意味はないように思うが、盛況になればなるほど起こり得ることかもしれない。先着順等の応募方法の手段が変わる可能性もある。

 

 どのようなコースを選んだとしても、身体は1つしかないので、せいぜい2コースを受講することが精いっぱいのように思うが、定員が多い場合には1コースという制限が設けられるかもしれない。盛況であるということは、受講意欲が高い表れであり、企画を行う側にとっても開講する意義が高い。新たなコース開発や、既存コースのブラッシュアップ等事務局もマンネリ化しないような細かい配慮を行っていることがよくわかる。

 

 開講終了日にはアンケートも行われていて、新規コース等の希望が聞かれ、いくつかは採用されているようである。著名人の出席するコースもあり、人気を博している。半年前からの担当講師の予約等事務局のご苦労があってのことで、その点は特に高く評価をしている。さて、今年は昨年度後期と同じコースに申し込んだが、受講できるかどうか楽しみである。


同一労働同一賃金指針

2016年02月21日 00時00分01秒 | 紹介

 政府の方針がまとめられる。方向性については今月の上旬に出されていたが、昨日の衆議院予算委員会で、安倍首相からの表明があった。今後、専門家による検討会を設け指針(ガイドライン)作りに着手することとなった。指針については、厚生労働相の諮問機関である労働政策審議会の議論を経て、来年度中(2016年度)に導入する予定である。

 

 まずはお手並み拝見であるが、正規労働と非正規労働の賃金格差は現状では差があるとの立場で、同一の職務内容であれば、同一の賃金を支払うことを明文化する。特に通勤手当や出張旅費等については、正規と非正規との差をなくすこととなるであろう。

 

 多くの日本企業では未だ年功賃金体系を導入している。この制度を維持しながらの同一労働同一賃金を導入すると、現場での混乱は必至であるため、資格や勤続年数、学歴等の属性までは同一視できないため、厳格さが欠けることは否めない。というか、容認する方向である。

 

 この例外や容認は、同一労働同一賃金の定着している欧州各国でも賃金差を認めている。特に技量や熟練度での格差はマイスター制度を持つドイツでは当然として受け入れられてきた。資格制度をそのまま賃金に反映させることは欧米と比べ、我が国では希薄な感じを持っている。技量手当なる物は存在せず、技能検定制度で一級や二級の格付けは労働意欲を高める効果はあっても職務上では必要となり、賃金に直接反映はしていない。

 

 例えば、技術士は国家資格の試験に合格する必要があるし、弁護士や公認会計士等も同様で、職務内容に応じた賃金体系となっているからであろう。資格自体も様々なレベルがあり、国家検定から民間独自の認定制度等雑多であるため、どんな資格でも、手当に反映するかといえばそうではなく、仕事に直結していなければ意味が無い。当然調理師などでは経験年数も加味される。

 

 その意味での専門職賃金体系は、教員免許がなければ教師とはなれないのと同様で、職種別賃金が妥当であり、資格手当も現に存在する。この分野での同一労働同一賃金という問題となる、要求なり格差問題は存在していないように思える。

 

 成果主義や、実績主義での格差は当然なければ導入の目的は達せられない。そのことを考えると賃金体系自体の問題ばかりではなく、労使が納得する複雑な賃金決定プロセスまでバランスを見ながら検討されることを期待したい。格差の意味も再度明確にしておきたい。


喫煙と嫌煙

2016年02月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 たばこの外装紙に印刷されている文言は、結構刺激的であり、嗜好品のイメージは感じられない。世界的な動きでもあり、わが国も同調せざるを得ないが、強制できない点も悩ましい。文言を紹介すれば、(表側)喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。(裏側)未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません。(横)あなたが吸い込むタールとニコチンの量はたばこの吸い方によって異なります。

 

 この他に、詳細については厚生労働省のホームページに誘導するアドレスが書いてある。裏側の文面は、未成年者の喫煙は法律で禁止されているため当然である。気になるのは表側の肺気腫であり、すぐには症状が出るわけではなく、個人差もあるようで、習慣性があるため、強いていえば寧ろそちらの方が問題のようである。

 

 自分は20代から現在までたばこを継続して吸ってきた。約50年間である。ニコチンによって脳の血管が収縮し、寝起きの一服は目覚めがよく、気分爽快になる。体力を使った後の一服は気分転換になるし、食後の一服は食事のうまさを倍増してくれる。考え事をする最中は、手持ちぶたさをなくし、心機一転して考え事に取り組める。家にいるときは紙巻だけではなく、パイプたばこを愛煙している。これぞ至福の一時であり、これに変わるべき嗜好品は他にはないと思う。

 

 これらの効用がある一方で、喫煙が、あまり体には良くないことは分かっていても、止められずにいる。タバコは国税と地方税が付加されているので、高い買い物になっている。原料費はわずかであり、各自で栽培できない禁制品である。たばこ農家も知っているが、その管理は厳しく行われているようである。

 

 税金を取るための手段として定着しているので、販売を禁止することはしていない。健康を推進している一方で、たばこ農家の職を奪うとか、外国産の輸入品を止めるわけにはいかない等の苦しい立場が見え隠れする。被害妄想的なやたらと嫌煙権を主張する方が増えているし、複流?煙が周りの方に影響するとのこと、喫煙による室内の黄ばみやにおいの固着等はそこまで神経質にならなくてもよいと思うが、意志薄弱か罪人のような軽蔑したまなざしはどうもいただけない。禁煙席オンリーを掲げ、客足が極端に減り、店舗の営業上対立をどちらも取り入れた分煙化が進んでいること等、時代の流れでもある。

 

 嗜好品を取り上げることへの限界の中、愛煙家には分が悪いが、たばこでのいざこざがない世界もありと思っているが、共存できるかどうか、いかがであろうか?


古希に思う

2016年02月19日 00時00分01秒 | 紹介

 現代用語では稀という漢字は使わず、希を使っている。中国からきた言葉で、語源は杜甫の詩に「人生七十古来稀なり」に基づいている。70歳の異称である。通う飲み屋には酒代の付けがある。70歳ともなれば、何をしても道から外れるようなことはないと続く。

 人生が完成域に入ったとの譬えであろう。当時の中国の平均余命は、50歳を下回っていたので、そのように称してもよかったのであるが、我が国においては高齢者であっても前期に入り、今や、どこにでも生存しているため、さほど珍しいことではなくなった。100歳を超す方も元気に過ごされている世の中である。

 

 中学時代の同僚の母親が、101歳の誕生日を迎えたといって、携帯電話のメールに添付された元気な母親の写真を拝見した。特養ホームに入っているといっていたが、自分のおふくろも生きていれば数えで100歳になっていた。元気といっても持病があったり、骨折しやすかったりで、周りにいる方もお世話が大変であろうと想像するが、健康に過ごすことができればめでたいことである。

 

 最近、自分より相当年齢が上と思われる方がマラソンに興じている。自分なりのペースで走っている。ジョギングや、サイクリング自転車(ロードバイク)に乗っている方も見かける。健康志向でよいのであるが、あまり無理をしないよう願っている。体を動かすことによって、血液の流れがよくなり、脳の老化防止にもなるといわれている。脳には、血液が多く使われる。したがって、血液は脳細胞や脳神経の栄養を送る必要があり、バランスの良い食事摂取が必要となる。運動の後には栄養補給や水分補強が欠かせない。

 

 健康維持には適度な運動とバランスが良い食事大切である。高齢者だからといって油濃い食事を敬遠しやすいが、そのようなことはないそうで、若い人と同様に栄養価のある食事がよいそうである。認知症や、アルツハイマー症になる高齢者も多い。その理由は自分には不明であるが、遺伝的要因は別として、身体が欲する食事を規則正しくとることを優先すべきと思っている。しかし喫煙や、飲酒は、過度にならないよう気を付けているが、長年の付き合いもあり、習慣性で中毒かも知れない。急にやめるのもと思いながらだらだらと続けている。

 

 古希には道を外れることはしないし、自己判断で対応できる年齢と勝手に思いながら、日々充実する生き方を模索している。100歳まで30年、お返しすべきことも多々ありで、結構なことができるであろう。


怠けアリにも働きあり

2016年02月18日 00時00分01秒 | 紹介

 集団生活を行うハチやアリ等が、人間社会に似た行動パターンを持っていることは何度かこのブログでも取り上げたが、今朝の日経新聞の社会38ページには北海道大大学院、長谷川准教授チームが、コンピュータシミュレーションで、アリの行動について働くアリと怠けているアリの比較を行った。

 

 その結果は、英科学雑誌電子版に発表されている。社会生活を行うアリでは、集団の寿命について、怠けものがいる集団の方がいない集団に比べて、寿命が長いそうである。その理由として、仕事に取り組む腰の軽さに影響し、怠けもののアリは、腰が重いため、怠けているよう見える。腰の軽いアリがばててしまうと怠けもののアリはその代わりを果たし、仕事を行う。つまり、トータルの仕事時間は均一化される。

 

 転じて人間社会では、同様のことが考えられ、腰の重い人間でも、いざというときには会社のために働く可能性が高く、相対的に腰が重いだけとの結論としている。したがって、従来いわれていた怠けものの首を切るより、長期的な視点に立った組織運営を行うべきとしている。

 

 経営の効率化が叫ばれ、無理、無駄、ムラを無くす努力はどの会社でも行っているが、アリの社会が示す行動と人間の行動を同一視できないことも事実であり、研究は重ね続ける必要はある。組織のスリム化による過重労働があるし、長時間勤務の例は健康の悪化を招き、精神的な不安定さを引き起こすこともあるため、休暇や休憩時間を有意義に過ごすよう、働く側の仕事に取り組む姿勢にも気を遣う必要があろう。

 

 自分がブログで紹介した内容はこのことではなく、集団から怠けものを取り除くと、取り除いた集団にも同じ割合で怠けものが誕生するというものであった。組織のショックアブソーブの役割まで考えを延長すれば、釣りバカ日誌の主人公である浜ちゃん効果は確かにあり、怠けもので役に立たない人間とのラベル貼りはほどほどにということであろう。役に立たないとの思いはあったとしても、人間悪いところばかりではないことも事実で、ただ気が付かないだけかもしれない。

 

 組織の存続は、アリの一穴からとの話もあり、なんでも隠し事がないよう、報告、連絡、相談いわゆる「ほうれんそう」を徹底し、意思疎通の障害となる原因を突き止める努力を促したい。


ニードルタッティング途中経過

2016年02月17日 00時00分01秒 | 紹介

 ニードルタッティングを初めてから3ヶ月となる。基本的な操作、内容は分かってきた段階となってはいる。我が国に入ってからの普及活動等を知らないでいるが、技術的な教材や指導育成機関がほとんど見聞出来ないのは、自分の検索の技量の未熟さばかりではなく、実際に存在しないのではないかという思いをしている。興味を持っている団体なり、啓蒙普及されている方もおられるとは思うのであるが、一向にヒットしない。

 

 この分野をカバーしてくれているのは、英語等の動画であり、欧米の先進的な教授陣である。しかし、素人の先生という印象は否めない。日常の利用というか、趣味と実益を兼ねての多くのサイトが大変参考となっている。奥が深いと感じながら、暇に任せて、英語の動画を見ながら新たな技術や、テクニックを学んでいるところである。体系的でない、どちらかといえば、当てずっぽー的な挑戦が続いている。

 

 おそらく、初心者の導入編から始まり、初級、中級、上級と次第に高度化しているとの判断はあるが、映像の配信側での教育的配慮は見られない。従って、ランダムに提供されている動画を順次見ることによって、視聴者側での選択と自学自習的な構築がなされることになる。これでよいとは思わないが、どなたかが、スクリーニングされ、区分をして頂ければ、良いと思っている。

 

 そのような状況の中ではあるが、材料となるレース糸は女房が、外出した折り、100円ショップで購入して来てくれる。レース糸の種類は、通常利用している#20であるが、色のバリエーションは限られていて、5色ぐらいであろうか、今の技量では十分といえるが、制作する物によっては、色違いがいずれ必要になると思っている。

 

 教科書なり指導書的な印刷物(洋書)はネット通販を使えば1冊1000円ぐらいで手にはいる。注文時にむやみやたらと選んでも、自分の技量に合う物であるかどうかの判断が尽きづらい。そこでおすすめしたいのは、「needle tatting]との検索キーワードを入れて、動画を選ぶと、結構な分量のサイトをアクセスすることが出来る。片っ端からそれらを見ることで、おおよその内容は掴むことが出来る。

 

 クリスマスのレースを使った小品が多くあったが、あまり参考にはならなかった。現在挑戦しているのは、ブックマークと、テーブルに置き、皿や花瓶用に用いる「ドーリー」という物である。もうしばらく続けてみたい。


春の訪れ

2016年02月16日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 春の息吹は何によって感じるのであろうか?人それぞれの思いがあるが、花屋の店舗に並ぶ美しい花々であろうか、北国では例年になく積雪が少ないようである。ゲレンデには積雪がないとスキー場もある。このままではスキー客を目当てにした営業も開店休業であろう。暖冬の影響かもしれないが、今頃、富山の氷見漁港で最盛期の出荷となっていた寒ブリ漁が振るわないようである。

 

 多摩川の土手に植えられた河津桜が開花し始めている。近隣に植樹されたの白梅や紅梅も見ごろを過ぎた様で、季節が早く回っている気がする。地球温暖化の兆候かどうかわからないが、地球規模での気候変動は何かの予兆かもしれないという見方も聞こえてくる。

 

 長い地球の歴史には、災害が集中する時期があるし、気候の変動もある。一部の状況だけでの憶測は専門家ではないので語る立場にないし、不安を掻き立てても意味ががない。実際にはもっとゆっくりとした周期であり、人災は別として、根拠をはっきりさせた情報でなければならないと思っている。

 

 植物は季節を感じて活動し始める。固いつぼみが徐々に柔らかくなり、芽吹き始めるメカニズムは、どこかにセンサーがあり、そのセンサーが温度や湿度、日照時間等を感じてスイッチが入り細胞か活性化し始める。いつも不思議に思うのであるが、一斉に芽吹くのは、草花や木々同士が何らかの情報をやり取りしているように思える。ホルモンといわれるものか、におい物質かもしれない。特に開花の目的は、受精するためであり、種を作る行為である。微妙に開花時期を変えているのは、種が異なれば、受精できないし、一斉に同種が開花するのである。それらは細胞内にあるDNAに書き込まれた情報を利用している。

 

 春は寿司がおいしいと感じている。九州ではバラずしとか、ちらしずしがよく振る舞われた。江戸前は握っていないシャリを敷いた上に寿司ネタが器に盛りつけられるので、どうも感覚が異なる。寿司も本来は麹を使った発酵食品が本(もと)となっている。なれずし・飯寿司(いずし)などがそうで、北海道ではニシンや鮭を使った寿司がおいしかった。

 

 山菜寿司は春に登場するセリ、蕨、ぜんまい、菜の花等を使ったバラずしで、アクが強い春野菜を使うとよい。多くのバリエーションが楽しめる。寿司ばかりではなく、てんぷらの山菜もおいしい。食の方に話は飛んだが、春の訪れは初ガツオなど魚介類も春を感じさせる。冬の寒さがあって春のありがたさを感じる。季節感を犠牲にした快適な生活も良いが、四季の移ろいを食感を含め、肌で感じる喜びは残して置きたいものである。


再利用品の目利き

2016年02月15日 00時00分01秒 | 紹介

 昨夜から今朝にかけて、風雨と気温の上昇があった。気象庁の発表によると南風が低気圧に吹き込み、春一番が吹いた。2月の今の時期が平年に比べ早いのかどうかは分からないが、春一番が吹いても、すぐに春になるわけではない。三寒四温が続き、徐々に春に近づくのである。しかし、着実に季節が移ろいでいる様子は肌で感じられる。

 

 昨日は、天候が安定しない中、車で30分のところにある永山にあるブックオフへ行ってみた。途中、若葉台団地を抜け、永山団地の近辺である。永山団地は、築後30年を経て、建物の老朽化が始まっているし、高齢化も進んでいる。当時若いサラリーマンが高額をはたいて居住者となり、近代的な設備や高層の住宅群は、サラリーマンの憧れであったことも事実である。しかし、時の流れは待ってはくれない。当時30~40代は団塊の世代であった。すでに退職している方も多い。二世代で住むには手狭で、今後どのような建て替えが進んでいくのか興味深い。

 

 リサイクルショップは大勢の利用者で混雑していた。購入目的でない、家庭で不要となった廃品、とはいえ、再利用できる品物といった方が適切であると思われるが、販売を目的で来店する方も多いようであった。安く仕入れ、高く売るのは商売の鉄則であり、再利用することによって、品物の寿命が長くなるし、市販品の新品ではないが、同程度の品質であれば、安い価格で希望したものが手に入るというメリットがある。中古品市場が活気を帯びているのも賢い消費者がいるおかげである。

 

 地域を選ばないインターネットでのサイトや、オークションサイトも、利用している消費者も多い。中には紛(まが)い品や、出所がわからない品の販売等のトラブル、お金を振り込んだのに品物が届かないこと等のリスクもあり、必ずしも適正な売買とは異なる側面もあり、安心して取引できる信頼できるサイトを見つけ出すのは至難である。

 

 わざわざ日本製とうたっている商品も多いが、購入してみて、企画は日本でも生産は近隣国という場合も増えている。流通は国を越えてグローバル化しているので、必ずしも外国製品に欠陥が多いわけではないであろう。事実、ブランド品の信頼性は高い。贋作を好んで利用する世界もあり、要は自分にとって利用価値があり、自分が気に入ったものであれば、中古品であっても問題にならない。ジーンズは新品をたわしややすりを使ってあえて使用したという加工を施すそうである。自動車の部分補修塗装では仕上げ塗りに日焼け感を出す透明塗料を塗っていたことを思い出した。わびやさびは使用した年月が価値を持つとされる新品が気に入らない世界とは新しいものへの執着に対する逆説であろうか。