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鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

真夏日

2016年05月24日 00時00分01秒 | 紹介

 昨日も北海道で30℃を超える真夏日であった。真夏ではない初夏に25度を越えれば真夏日となるようであるが、梅雨入りもしていない五月の下旬にしては珍しいのであろうか。地球温暖化が影響しているとは思えないが、樹木や草花などは時季外れとはいわないまでも、季節が進んでいるようである。年によって気候の変動はあるし、平均を使うと毎年の変動は消えてしまい、実際は誤差の範囲なのであろう。気温の変動は毎年違うので、さほど信用していない。

 

 冷夏であった年もあり、人間の生活に合わせて気候が変動するのではなく、古くから、季節の変動に我々側の順応が行われてきたといった方が正確なのである。平均気温や、平均した梅雨入りは、毎年同じではない。数十年前の気象観測の結果からの予想がベースになっているため、太古からのデータをもとにしているわけではない。もともと太古の気象変動を正確に測定したデータがない。短い期間でのデータをベースにすれば、対比するにしてもその意味は薄い。

 

 真夏日も尺度をどの基準に合わせるのかによって、実感は変わってくるが、今の時代においても、地球規模の天候予測も、宇宙の営みすら明確でないため、予報という言葉が消えないでいる。その意味においては、ある程度の間違いや、予測の正確性については完璧ではないことを肝に銘じる必要があろう。

 

 人々の生活においては結構シビアな状況もあり、予報で降雨の確率等を信用しても、当たりはずれは当然あるので、目くじらを立てて、憤慨する必要はないと思っている。例えば降水確率は、一定の範囲に降雨する可能性をいうのであるが、30%といえば、地域の3割にあたる部分が降雨し、他の70%については晴れや曇りという意味で、現在いる地域が30%の範囲かどうかまでは明示できないからである。降られる地域からすれば30%といっても降雨は100%であるから、雨に当たることになる。

 

 これでは確率で表示されても雨に降られるか降られないか判断つきにくい。一層のこと天気予報は信じないという方もおられるであろう。%の表示が出れば、どこかで降っていると思うのが自然であり、雨に降られたくなければ、傘を持参すればよい。予報とはこのようなもので、時期や、天空の状態、数日前からの推移等総合的な判断が個々の人々に対して求められるのである。真夏日についても同様である。


人物評価

2016年05月23日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 都知事の継続が危ぶまれてきた。次から次へと発覚する疑惑は収まるどころか、国会議員時代へと遡り、何とも掴みがたい人物の行動である。都知事も人間であり、選挙で選ばれたわけで、職位自体はトップレベルであり、誰しも望んで出来るものではない。それだけ希有なポストであり、人身の心を一時期とはいえ、掴んだのであるが、こうした不祥事が続くと、期待が裏切られ、人心が遠のくのは必然である。

 

 選挙民からそっぽを向かれれば、継続もおぼつかなくなるが、第三者を入れての調査委員会なる組織を立ち上げ、疑惑を払拭したいあがきがある。一度離れた人心をたとえ第三者委員会において疑惑はないとしても、容易には元の鞘には収まらないであろう。第三者といっても弁護士集団のようで、何を弁護するのか、都知事の偽善を正当化し、疑惑解消への保身なのか、先ずは、選挙民から選ぶべきであろう。既に市民団体からは告訴が発生しているようである。これは気が遠くなる話で、直ぐには答えは出ない。司法の判断を求めるのは今の段階ではなく、いうなれば、最終段階であるが、弁護士に頼むなど、姑息な手段といわざるを得ず、この点だけでも自己の弁解すら出来ない人物との評価がされる。

 

 トップとしての魅力が削がれてしまっては、前知事同様にポストを離れざるを得ないのは時間の問題であろう。あの年齢になって政治的手腕もないまま、国民や、都民の税金を食い物にする政治屋は、誰の目からしても異様である。都民の方々には残念至極といわざるを得ず、同じような思いを二度としてほしくないであろう。

 

 人物の評価は都政の中身ばかりでは無く、常日頃からの人間性を見ている。誠意があるかどうかは分からないにしても、都知事のポストが私腹を肥やすための手段であれば、就任以来の賃金を返納すべきで、疑惑通りであればなおさらである。

 

 トップの評価は誰がするかは選んだ都民が先行して行うのが自然であろう。その意味では疑惑を解明することと同時に、知事を監査監督する組織の機能が効いていないことが原因と思われる。都議会は一体何をしているのであろうか、疑惑の片棒をまさか担いでいるのではないかと疑いたくなるほど深刻な問題であるにも拘わらず、迅速な対応が出来ていない。トップの行為がこのような疑惑を払拭できないのであれば、一種の危機管理対象状態(リスク)にある。危機管理が機能していないと思わざるを得ない状況であるとの認識すら持ち合わせていないのか不思議な議会である。

 

 ともかく、知事が正常でないのは分かっていながら手を出せない原因は何であるか、告発側(被害者は都民である)の保身が阻んでいるのか、不透明な状況に置かれている。


ブドウ棚の設置

2016年05月22日 00時00分01秒 | 紹介

 今年はゴーヤを止めて夕顔にするつもりでいたが、ゴーヤも種から芽が出たので合わせてグリーンカーテンを作ることにした。100円ショップでネットを買ってあるので、支柱を立てることにした。ブドウは巨峰であり、丁度房が成長し、花が咲いている。花といっても小さいのでよく分からないが、線香花火のような状態である。放っておいても適当に実を付けるが、今までは、棚を作るまでには行かなかったが、今年は棚に似せてネットを使ってみることにした。

 

 早朝に取りかかるつもりが所用があり10時頃から作業を開始したが、今日は思った以上に熱い一日であった。二階のベランダからネットを垂らすのであるが、ネットは縦60cm、横は2m40cmであり、このおおきさでは3m近くあるベランダには継ぎ足して使わなければならない。結局4張り横に並べ、縦にはもう一張り追加した。3m四方となった。試しに二階のベランダから垂らしてみると横幅が足りなく、長さも短めであったため、縦横それぞれ追加して調整した。大きさの調整は前日に行った。

 

 前日に調整したネットをベランダに固定し、支柱を立てることにした。支柱は2mの長さを6本立てる。同じく2mの長さの支柱を横に4本使って補強をし、約半分の長さの支柱を短い辺にに6本渡した。これで長方形の支柱が完成し、ジョイント部分は、針金とシュロ縄で固定し完成である。時間にして2時間ぐらいであった。

 

 シュロ縄は水に浸けておかないと取り扱いに苦労する。針金は園芸店で市販されている緑色をしたプラスチックに覆われている物で、ちょっと長さが短いので、仮止め用である。

本来ならば水準器で水平と垂直を見るが、今回は適当に目検討で作業を行った。支柱の太さがあるので、継ぎ足すため、段違いになり、仕方ないであろう。手間をかけるとすれば、継ぎ手の部分に木材で作る丸棒をつなぎに使えば見栄えは良くなる。

 

 ベランダから斜めにおろしたネットと支柱とを結び、中段には、水平にネットを張ってブドウ棚にしてみた。実際にブドウが成長すると房は結構重いため、ネットで保持できるか心配であるが、房が出来た後、再度補修することにした。支柱の役割は、夕顔やゴーヤの葉が茂り、少々の風や雨にも持つことが出来ればよいので、頑丈な鋼製パイプがよいのであるが、さほど頑丈でなくてもブドウ棚は良いと思っている。まあなんとか使えるネット張りが完了した。


市民アカデェミー16前期第4回目

2016年05月21日 00時00分01秒 | 日記

平成28年5月20日

 

 映像の世紀が終わり、今回からは海のシルクロードが始まった。15後期で講演者であったNHKシルクロード取材団団長鈴木肇氏の再登板である。自己紹介の後、最近、莫高窟で有名な敦煌(とんこう)へゴールデンウイークを利用して見学に行ってきたことのエピソードが語られた。

 

 陸のシルクロードの後編としてNHKスペシャル「シルクロード」の後に企画されたもので、現在、中国が海洋権益を増大させていて、その政策路線に重なるようであるが、ヨーロッパへの海上交通に力を入れる事で、貿易や人の流れを作る目的のようであるが、今回の講座ではどこまでそのあたりに踏み込まれるのか興味が湧くところである。

 

 今回は、地中海のシリア沖合での古代沈没船発掘調査についてであった。その企画は、奈良県と奈良市が企画した奈良シルクロード博覧会とうまく重なり、NHKでは調査費用が出せない中、奈良県の方での予算化ができたおかげで、撮影が可能になったとのことであった。企画制作にあたった鈴木講師の弁によれば、NHKでの上層部との意見の相違等があり、DVDとして作品ができるまでには、人事問題もありで、難産であったようである。

 

 前回も紹介したが、シリアのアサド大統領との面会で、調査がスムーズにいった話や、パルミラでの日本人獣医師がもめ事を上手に解決してくれた話も出た。海中の調査は調査機器を台船に乗せて現場まで曳航し、そこから海中に潜って沈没船の荷であったアンフォラを5000個以上発掘したようである。後日の年代鑑定によると13世紀ぐらいの品で、マルコポーロが東方見聞録を書いた時代であったとのことである。

 

 海上ではロシア製の軍艦が行き来していて、シリアとの関係が良好であったのは、最近のイスラム国との内紛でもロシアがシリアを支援しており、古くからの同盟関係であることを伺わせていたとの印象が語られた。海が荒れるため、年間で、期間的にも3か月の調査しかできず、3年に上る調査であったようである。DVDへ落とせば、1時間足らずの録画であるが、多くの人材と費用、時間を要する膨大な成果である。因みに調査費用は10億円とのことであった。

 

 さりげない口調で語る鈴木氏は、こうした大事業を企画され、本人も取材班の責任者としてご苦労されたわけであるが、改めて立派な人物であることが分かった。本音で語る世界は大変面白く、90分の講義はあっという間に過ぎてしまった。


神代植物園の散策

2016年05月20日 00時00分01秒 | 紹介

 今週は晴天の日が多いとの天気予報である。気温も25~27℃と高めに推移している。久しぶりに神代植物園へ行ってみた。自宅を9時に出ると開園の9時半には到着する。しかし何ということか、木曜日の平日であったのに駐車場はほぼ満杯で、第二駐車場への誘導が始まっていた。幸い第一駐車場に停めることはできたが、バスが数台駐車していた。

 

 駐車場から正門までの路上には自転車の駐輪場があり、100台を超える自転車が停めてあった。正門付近には開演を待つ園児の集団がいて、付き添いの親子が多かった。高齢者集団の一行が3~5組いた。まるで休日のように混雑していたが、5月12日から工事が終わった温室が再開したことや、バラ園の見学が目的のようであり、幼稚園児は、運動か遊びに来たのであろう。

 

 晴天に恵まれ、カメラを持った多くの来園者に遭遇した。平日は高齢者が多いが、気候的には今が真夏のような日差しはないし、丁度良い気温で、雑木林を吹き抜ける気持ち良い風や、新緑の景色を満喫しに来ていると思われた。

 

 バラについては特別な展示を行っていて、バラフェスタも行われていた。車いすを使っている集団にもであったが、施設や病院の中での生活とは異なり、自然を多く残した植物園は気分転換に良いようである。車いす専用の歩道はないが、造園業者の作業車以外は走ることができないため、安心して散策できる。

 

 女房と園に入ってからは別行動をする。写真の対象が異なるからで、自分は野鳥撮影、女房は花や草木、人物も撮る。11時半近くになり、いつもどおり裏門で待ち合わせ、利用する深大寺そばを供する青木屋へ行った。ここもほぼ満席の状態で、給仕係に様子を聞いたら、昨日も混雑したといっていた。

 

 深大寺にはナンジャモンジャという名前の銘木があり、ひょっとすると花が咲いているかもしれないといってみたが、既に花は終わっていた。五月の連休頃が満開となるらしい。白木蓮の種類のようである。散策を終えて昼食後に新たに開館した温室に行ってみたが、さほど変わり映えはせず、未だ植えたばかりという木や花が植えられていて、興ざめであった。新しいものが良いわけではなく、数か月たって、落ち着いた頃が良い。


稚アユの遡上と河川管理

2016年05月19日 00時00分01秒 | 紹介

 中流域や上流域での稚アユの放流についての報道があったが、本日、多摩川の中流域にあるさらし場で稚アユの遡上が見られた。コサギの数が20羽を超え、中サギ、大サギ、アオサギが混じる。しばらくぶりの勢ぞろいであった。どういうわけか、この時期活発にエサ取りを行うコアジサシの姿が見られない。早朝には数羽見ることができたが次第に数が減り、全く見ない状況が続いた。知り合いのカメラマンとの話では、今年は雛の誕生を見ることができないかもしれないということであった。

 

 コサギのエサ取りを見ていると中には効率的に遡上の稚アユを上手に捕る個体がいる。稚アユは15cmの段差が登れずにたまり場で回遊していて、そこをコサギが陣取り、手あたり次第捕るのである。体長は5cmぐらいに成長した稚アユであるが、数を多く捉えれば満腹になる。

 

 これも自然のサイクルであり、産卵する上流域にたどる前には相当数野鳥の餌になってしまう。野鳥ばかりではなく、投網の解禁はまだ早いが、釣り客も影響しないとは思うが、カワウや亀なども餌としているので個体数の減少は放流しても追いつかないと思われる。水質がきれいになったとの話もあるが、生物の保護をどこまで行うかなど総合的な判断が必要と思われるが、人間の意図どおりに個体数を確保できるか甚だ疑問である。

 

 かつて流域に隣接する工場といえば、環境規制が緩やかであったため、多摩川へ工場排水を放流していた。時計工場であったジェコー、日本板硝子、玉川製紙工場 鬼頭製作所、多摩川精機、帝国科学工場等は住宅地に変わり、その影響もあるが、河川敷が整備され、一見きれいに整備されても、樹木の伐採、道路のアスファルト化、農地の宅地化等自然の破壊は進んでいて、都市部に人口集中するのは制限できず、かえって、地方の自然が復活することになる。そうはいっても過疎化が続けば、自治体の税収も減り、手が入らない山野や高齢化で働き手を無くした放棄地が増えている。このバランスは難しい課題となっているが、どちらに転んでも、河川管理は洪水による破壊を避けながら、自然といかに共存させるのか悩ましい話でもある。

 

 過去には戻れない宿命を持つ河川管理であり、ゲリラ豪雨の発生や、堤防の老朽化が常総市で起こった堤防決壊につながり洪水によって地域が水没し、多くの家屋が流された。多摩川の宿河原堰も60数年前に決壊したこともある。対岸の狛江では新築の住宅が数軒流された。再び起こらないように祈るばかりであるが、環境も変化し続けている。


傷口の抜糸

2016年05月18日 00時00分01秒 | 紹介

  外科に通って10日目になり、今日は3針縫った人差し指の抜糸であった。時間にして2~3分、全く痛くもなく、難なく糸が抜けると感心した。傷口はきれいに縫い合わされ、見事という他はない。医者にお礼をいった。外科医はどちらかというと職人に近い。人体の蘇生力をよく知っていないと手術もままならないであろう。得意そうな外科医の表情は、物づくりの職人が見せる笑顔と同じであった。

 

 右手の人差し指が使えなかった10日間は、水に濡れないように気を付けたが、サランラップを巻いての入浴や洗顔は、左手しか使えず、濡れたタオルを絞るのに苦労をした。もちろん利き手が、普段何事もなく使えるのは不思議な気分であった。古くから両手が違和感なく使えるのがよいといわれていたし、文字を書くときも意識して左手で書いてみたが、うまく使えないのである。箸も左手でもって食事をしたこともあったが、力が入らず、うまくつかめなかった。

 

 脳の活性化のために左右の指や手の使い方を交互に出来るようになれば、今回のような右手が使えなければ左手でと思うが、長年利き手が行うことを左手が同じようには出来ない。両手を事故でなくした方が、足を使って絵や字を書く人を見たことがあるが、全くなければそうせざるを得ないため、使えるようになるのであろう。これも訓練で出来るようになるのであろうか。

 

 ロボット開発でも人間の手の動きをティーチングするが、卵を持つことが出来るようになるのには簡単ではないそうである。感覚を加減するのであるが、素材によってどのくらいの力が必要になるのかは、経験の積み重ねが必要のようであるが、人間がいとも簡単に出来ることは実に興味深い。人間の身体が持つ様々の動作が、簡単に思えても、人工知能を駆使しても人間以上には出来ない多くの動作があることは分かっている。

 

 今回は人差し指が使えなかっただけでも苦労したので、これからもそれを教訓とした不注意によるケアレスミスをなくす努力をしなければならないと思った次第である。年齢を重ねることで、身体の機能が思うようには動かなくなる。判断力ですら老化するといわれている。オートマチック車が全盛となり、シフトを使ったギアチェンジの車はほとんど無くなっている。そのことが、アクセルとブレーキを踏み間違え、事故の原因となっているようで、事故を起こしてからではおそい。

 

 日頃から身体機能の維持のために物事に取りかかる前には、準備運動を欠かさないようにしようと思っている。


訃報メール

2016年05月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 懇意にしている中学校の同窓生の母親が数日前に帰らぬ人となった。直接お会いしたことはないが、友人のメールや話から聞き及んでいた。数か月前に101歳の誕生祝を行ったメールをいただいた。年齢からすると老衰のようであるが、急に寝たきりになったようで、死期を察してか、介護施設からご自宅に連れて帰り、ご姉妹と替わりながら夜は付き添って就寝していて、亡くなったのは、早朝で添い寝を初めて五日目であった。安らかな寝顔は、大往生にふさわしく、親族も最後まで、お世話することができ本望といったところであろう。

 

 誰しも長寿を願うわけであるが、亡くなってしまうと1日でも長生きしてほしいと思うのは同じ思いである。しかし、大きな病気もせず、1世紀以上を生きることは、本人もそうであるが、ご家族にとってもお目出度いことである。

 

 よくいわれる言葉の中で、人は一人で生まれ、一人ででこの世を去るとされるが、これは自己という側面から見た話で、実は、決して一人ではない。両親からすでに遺伝子をもらい、死に至る間は多くの人との出会いや別れを経て、家族や関係者の見守りの中で一生涯を終わる。子供があれば、遺伝子は受け継がれ、死しても多くの方の心の中で生き続ける。つまり、神や仏でない以上、突然この世に一人で出現する人はいない。決して天涯孤独ではありえないのである。

 

 肉体は滅びても魂は生き残るのではなく、精神を魂と置き換えれば、死するという意味は肉体と精神を分離させるべきものではなく、一体であるから、精神も肉体とともに滅びるし、魂だけが生き続けるのではない。亡くなった人の生前の記憶が脳に蓄えられ、その人が生きてる間、記憶として続くと考えた方が良い。つまり、過去の写真や動画と同じで、記憶で蘇れば、亡くなった人との時間を超越して今、出会えることになる。それを思い出といっているのであろう。

 

 母親のかねてからの希望で、お見舞いや葬儀は、親族の範囲を決め、それを生前、実行してきたそうで、葬儀についても母親の遺志を継いで親族だけで行うこととしたようである。葬儀や通夜はセレモニーとはいえ、顔を合わせたことがない方が世間体や儀礼だからといって弔意を示す必要はないのであって、それでは済まされないと思うのは仕方ないが、大切なのは亡くなった方の意思を家族や親族が全うできればそれでよいと思われる。