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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

同情

2018-06-02 22:35:50 | 教育
>日大アメフト部員で、危険タックルを起こした部員が記者会見。>同情を集めました。

そうでしたね。わが国民の同病相哀れむ形式ですね。

>私もあの映像を見てしまうと、彼に対して抱いていた「とんでもない奴」というようなイメージが消え去って、かわいそうになってしまいました。

彼は、大和民族の典型ということになりますかね。

>●サラリーマン社会でも、運動部でも彼(本人名は書かないようにします)が同情される理由は、日大アメフト部事件が、日本社会の縮図であり、日本のサラリーマン社会の縮図であり、日本の運動部の縮図であるから、ではないかと思います。

そうでしょうね。日本人のメンタリティ (考え方) の社会に対する禍の縮図でしょうね。

>下に無理難題をふっかけ、何か問題が生じたら知らんぷり。>そういう管理職やトップ、多いですよね。

多いですね。これは、昔からの伝統ですね。日本人には、意思がない。意思のない人には、打開策の主導権がない。だから、責任を負わされた人には義務ばかりが残り、牛馬の苦しみを味わうことになる。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

>日本で学び、日本で仕事をしてきた日本人なら、多かれ少なかれ、似たような境遇に自分が置かれたり、自分以外の誰かが置かれているのを見た経験があると思います。

そうですね。日本病とでも呼ぶべきものですかね。

>ネット上ではすでに指摘されていることですが、モリカケ問題も、同じ構図です。>日大アメフト部の問題が「安倍のせい」とはさすがに思いませんが、構図としては同じ。

そうですね。わが国には、責任者をとらえることができない構造が存在するからです。とかく、この世は無責任ということですか。

>現場にムリをさせ、不都合が発覚したら「俺は何も言ってない、知らない」。

そうですね。わが国の人は、以心伝心ですからね。上位の者は本当に ‘俺は何も言っていない’ のです。だから、責任はないのです。とかく、この世は無責任ということです。抜け道は、すでに最初からできている。

>安部首相が悪いとかそういう直接的な問題ではなく、上は首相官邸から下は大学の運動部まで、いや、もっと下の少年野球クラブまで、同じような構図が、日本中至る所にあるのでしょう。

そうですね、日本語による禍は上層・下層を区別しませんからね。

>で、日大の彼は、その構図の犠牲者の一人ではないか。>彼は「危険タックル事件」では加害者ですが、「日本の組織」という大きな構図で見たら、被害者なのでしょう。>だから同情されたわけです。

日本人には、意思がない。意思のない人には、加害者意識もない。罪の意識もない。責任もない。あるのは、被害者意識ばかりである。すると、犠牲者ばかりが存在することになる。何かおかしいですね。
意思は、未来時制の文章内容である。ところが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本語には未来時制もない。日本人には意思がない。
日本人には意思 (will) はないが、恣意 (self-will) がある。恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) のまま存在し文章ならないから、意味もない。矛盾も指摘できない。議論にもならない。日本人は、恣意を鍛えて意地・根性・大和魂にする。この方式を、努力の突破口のように考えている。だから、無茶なことが起こる。’危険タックル’ もその一例である。
自由とは、意思の自由のことである。意思がなければ、自由にも意味がない。恣意の自由は、どこの国でも認められない。恣意の自由は、’自由のはき違え’ となるからである。かくして、わが国では、’不自由を常と思えば不足なし’ の状態が出現する。この現状が人々の同情を呼んでいる。

>●この構図から逃げるには日本の組織社会には、こうした「下に危ない仕事をやらせ、いざとなったら上が逃げる」という構図が、至る所にあります。

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>もちろん、そんなひどい人ばかりではなく、まともな管理職や、尊敬すべきトップもたくさんいます。

そういう人は、目立ちませんね。’声なき民’ になっていますね。自己の意思を示さない人は、傍観者にとどまります。力にならない。

>しかし、比率としては、尊敬すべき人がトップにいる確率は、あまり高くないと思います。

そうですね。信頼できない人が多いですね。’民信なくば立たず’ です。(論語・顔淵) わが国の民度が低い。

>こういう悪弊はなくなって欲しいと思います。

そうですね。ぜひ、そうしなければなりませんね。意思のあるところには、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

>でも、日本では古くからある問題ですし、日本に限った話ではないような気もします。

いろいろな国に、いろいろなやり方があるのでしょうね。

>ですから、簡単になくなるとは思えません。

複雑でしょうね。

>せめて、人の上に立つ人の一人でも多くが「部下に無理難題を押しつけない」ということについて、気をつけてほしい。

他力本願・神頼みですか。鼬ごっこでしょうね。

>そう切実に、願います。

原因療法が必要ですね。原因究明がその始まりになります。頑張りましょう。


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時代遅れ

2018-06-02 01:23:23 | 教育


>今の日本の問題は、戦後の高度成長期から80年代のバブルに向けて作られた様々なシステムが、時代遅れなのにも関わらず、根強く残っていることにあると思います。

そうですね。時代遅れの原因は、日本語にあるのではありませんか。

>私は日本が80年代のバブルの時期に大学・大学院を卒業しましたが、その頃はまだ終身雇用・年功序列が前提で、大学は入学時に優秀な学生を選り分けるためのフィルターでしかなく、企業は一流大学の学生であれば、大学での成績など全く関係なく採用し、必要な職業訓練は就職してからしてもらえる、そんな時代でした。

序列社会の中の社畜の時代ですね。

>しかし、その後、コンピュータ、インターネット、モバイルデバイスなどによって、世界は大きく変わりました。

そうですね。IТ技術・産業が発達しましたね。

>シリコンバレーを中心に、あらゆる産業をソフトウェアが飲み込むという大変革が起こり、数多くのベンチャー企業が生まれ、その中で、Microsoft、Apple、Amazon、Google、Facebookなどの企業が、旧来型の企業を追い抜いて成長して来ました。>日本は、この大きな変化に全くついて行くことが出来ていません。

そうですね。日本人は、同じことの繰り返しが得意ですからね。

>未だに高度成長期を支えてきた大企業が社会全体に大きな影響力を持っているし、就職先としての人気です。

大艦巨砲主義の再来ですかね。未来に対する構想は、日本人には想定外となっていますね。

>政府も、その手の大企業を護送船団方式で守るという、時代遅れの政策しか取れません。

そうですね。この道は、いつか来た道。ああそうだよ、歴史は繰り返すのですね。失敗に懲りるということがない。反省がない。

>ベンチャー企業は、以前よりは立ち上げやすくなったとは言え、資金面でも人材面でも、米国と比べると格段に難しいのが現状です。

そうでしょうね。

>この「なぜ日本が変化に対応できないのか」という疑問は長年私の中にありますが、その大きな原因になっているのが、日本の官僚システムだと私は見ています。

官僚は、対応遅れの生贄になりますか。かれらには、政治責任はありませんね。彼らは、我々国民の代表ではない。政治責任は、ひとえに政治家にあります。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。だから、変化に対応できない。
意思は未来時制の文章内容である。日本語文法には時制がないので、未来時制もない。だから、日本人には意思がない。
意思はないが、日本人には恣意 (私意・わがまま・身勝手) がある。意思疎通は欠いているが、恣意疎通がある。以心伝心というわけである。
意思は文章内容であるから意味がある。矛盾があれば、指摘もできる。恣意は、ばらばらな単語で存在するから、意味がない。矛盾も指摘できない。
意思には意味があり議会での議論が可能である。恣意は意味がないので、聞き手に忖度 (推察) していただく。談合を開いて、腹の探り合いをする。お互いに、腹をくくって決着する。談合の決着には、リーズン (理性・理由・適当) がない。だから説明責任が取れない。とかく、この世は無責任。
忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者に責任がない。’言った’ ‘言わない’ の論争において、話者と聞き手の間には齟齬が生じる。公の席での恥さらしである。これは、我が国語の欠陥である。外国人は、日本語を話しても、このような日本語脳の弊害には陥らない。だから、我々日本人も、英米流の高等教育を受けて、正しい考え方を身に着けよう。

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