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官僚の忖度支配

2018-06-23 23:37:38 | 政治


>新井信介「京の風」リンク より引用します。>官僚の「忖度(そんたく)」支配。>これを続けるの?

現在の言語環境をそのままにして、忖度を廃止することは、難しいでしょうね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、ばらばらな単語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>司法もその仲間?

日本語圏の司法もそうでしょうね。

>無責任体制の根源はここ。

そうですね。とかく、この世は無責任。

> (前略)
>今回の森友学園の認可と、国有地の払い下げが、どれほど異常なスピードで進められたものであったか、作新学園の船田元議員がテレビで指摘していました。>官僚たちが、時の権力者の思いを忖度する。

忖度 (推察) は、聞き手の勝手な解釈ですから、話者には何の責任もありませんね。とかく、この世は無責任。忖度の当人を非難すれば、’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と答えるでしょうね。月を見て歌を詠むようなものです。自然に歌になる。国を挙げて行う歌の道は、わが国の伝統です。

>そして、国家の許認可のために、一斉に動く。

以心伝心ですね。

>明治維新後、神聖不可侵の「天皇」の絶対権威を使って、権力者(軍部・官僚・財界)の意向を、臣民に強制した。>このときから、官僚たちの「忖度」は始まっている。

英語のように、伝達される情報は言葉の中で全て提示されるというのであれば、責任制度はゆるぎないものになりますがね。忖度の混入を許さない考え方をしますので、無責任を許さないことになります。

>戦前の反省から始まったはずの戦後の日本国家は、主権在民のはずだったが、「忖度」は、そのまま残っていた。

そうですね。文章は、理解で受ける。文章にならないものは、忖度で受ける。それが、日本人のやり方です。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。これは、英米流の考え方です。
こうした考え方によれば、考えにならないものによって、我が国民は政治的に動かされていることになります。

>このときの総理大臣が、当然、日本国家では最高権力者だったが、その人間が指示を仰ぐ人間がいれば、「忖度」は、その指示の発令者に向かっていく。>自民党の結党時から、そこには、アメリカのCIAがいた。>田中角栄以後は、さらに詳細に指示を出すジャパンハンドラーがいたのだろう。

事大主義が盛んですね。(一定の主義を持たず、勢力の強大なものに付随して自己の存立を維持する主義)

>では、民主党政権のあとの、第二次安倍政権のときに、なぜ、これが異常に膨らんだのか? 

第二次安倍政権は、人事権を手に入れたといわれていますね。

>しかも、メディアまで、完全に従わせた。 

わが国のメディアは、節操がないですね。やはり日本語脳のせいかな。

>「忖度」で、行政の各司(つかさ)の担当責任者が、どんどん法の枠を越えて、物事を進める。>これに対するチェック機能が、全くなかった。

日本語は曖昧な言語です。忖度で受けるしかない。
言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。
こんな言語環境では、誰もチェックはできませんね。

>司法も、「忖度」する側=官僚の味方だった。

司法も、勝手な解釈の味方ですね。もう遮るものなしですね。

>そして、この日本列島には、それを正す手段がなかった。

日本語圏には、忖度を正す手段がなかったということでしょう。忖度は、非言語の精神活動ですね。音楽・絵画・彫刻などを鑑賞する時のようなものですね。文章と理解という言語機能の範囲外にある活動です。

>今回、アメリカにトランプ政権ができて、ようやく露見した。>つまり、これまでは、皆、少しでも権力に近づくものは、この「忖度」の輪の中に入っていたのだ。

トランプ政権は、何事も型破りですからね。

>この状況を正すとすれば、それは、行政の最高権力者個人の、人間性、人格、力量に頼るしかないのか?

それも、日本語脳の持ち主には無理でしょうね。

>この部分を、法的に、規制できないのか?  

言語は、考える道具ですからね。言語に欠陥があったのでは、どうしようもないでしょう。
しかし、外人は日本語を話しても日本語脳の禍には煩わされませんから、我々も英語を鍛えれば忖度抜きの考え方もできるようになり、日本語を使う時にも閉塞感はなくなるでしょう。考えるときには、歌詠みの世界と縁を切ることが大切ですね。

>少なくとも、今回の森友学園の校舎建設に関わる、3通の契約書を存在させ、それを許したままにする、国家の制度(行政のありかただけでなく、司法も含める)では、「私物国家」のそしりが、今後も続く。>悲しいことだ。 

もののあわれか。歌詠みの世界ですね。

>中央集権化の中で、国有財産の分配のみならず、軍事行為も、エネルギー政策も、農業も、医療も、国民とは離れて、「忖度」官僚たちが制度をかってに運用し、実態を作っていく。

忖度は、聞き手の勝手な解釈ですから、話者には何の責任もありませんね。責任者のいないこの世は、まさに無責任制度です。

>しかも、結果に対し、だれも責任をとらない。

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>こんな統治体が、世界の中心になれるはずはない。 

同感です。政治音痴であっては、何事も始まりませんね。
>----------------------------------------------------------------
>引用おわり


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完璧主義

2018-06-23 16:41:15 | 教育


>『完璧にやろうとするほど上手くいかなくなる!?完璧主義者がみんな落ちる罠とは…(リンク)』

完璧主義者の悩みですね。

>ミスは許されない等で完璧に仕事などをやろうとする人に限って本末転倒な思考に陥る。

現実と考えの内容が一致すれば完璧ですね。
しかし、現実は、頭の外にある。非現実 (考え) は、頭の中にある。
両者は、その所在が異なるから、内容も同じにはならない。両者の中間の位置を見つけて適当に努力を続けることが ‘中庸の徳’ です。極端にはしると、自己の命に危険が及びます。

>その成果にそぐわなければ、他者否定、自己正当化、さらに自己否定、社会否定などに陥る。

それは、考え方が間違っていますね。原因を他に求めても不適当・理不尽は解消しません。自暴自棄は良くない。

>著者は自分を信じると記載してあるが、そこは見解が異なる。

自信を無くしてはいけませんね。考え方を改める必要があります。

>周りの期待に応えようとするが、周りも自分も上昇できる相互の関係が必要。

そうですね。孤軍奮闘・四面楚歌の状態での努力は、考えものですね。わが国の大東亜戦争のようなものか。

>一人にしてはいけないと思う。

そうですね。我々には対話術が必要ですね。

>また、否定意識に陥ることで支配する輩がいることに気付けない。

否定主義一辺倒では、危険ですね。

>自由や平等を主張させることで支配していく社会構造をよく承知しておいてほしい。

意味不明。

>--------------------------------転載
(略)
>「お前はこれまでよく頑張ってくれた。お前のこれまでの人生は決して順調と言えるものではなかったかもしれない。でもお前のつらい気持ち・悔しい気持ちは俺がちゃんとわかってる。大丈夫、これからは俺がいつもお前の一番近くにいる。生きる時も一緒、死ぬ時も一緒だぞ。」>自分に語りかけてあげてください。

なんだか、嬉しいような悲しいような文言ですね。これで満足できますか。

>あなたにとっての、一番のパートナーであり一番の理解者というのは、あなた自身なんです。>あなたが自分を信じてあげなければ、誰が味方になってあげるんです?

自分が二つに割れているのですか。

>あなたの信頼があって初めて、あなた自身が安心して力を発揮することができるのです。

‘民信なくば立たず’ でしょう。

>逆にあなたが自分自身を疑えば、あなた自身が自信を無くし、どんどん委縮してダメになってしまうのです。>自分を信じよう。>自分を信じることにより、人生が変わります。>人間関係も変わります。>そして未来が大きく変わり始めます。

自信を持つことが必要ですね。落胆する理由など、どこにもありません。

>--------------------------------終了


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あだ花

2018-06-23 10:41:05 | 政治


>なかなか散らないあだ花   コラム狙撃兵  2017年8月10日
>支持率回復を狙った内閣改造も特効薬にはなり得ず、安倍政府は倒壊寸前まで追い込まれている。

後継者がないから、安倍政府は持ちこたえるでしょう。

>このなかで、野党の民進党もボロボロの状態で代表の蓮舫が辞任するなど、自民党と同じく混迷を深めている。

どこもかしこもダメですね。無哲学・能天気だからでしょう。各人に、哲学が必要である。Everyone needs a philosophy.

>そうして、いまや内閣支持率が低迷している最大の理由は「首相が信用できない」で、支持する理由は「ほかにいないから…」なのだという。

民信なくば、立たず。わが国は、人材不足ということですね。

>情けないかな、これが今日の政治状況のすべてを物語っているように思う。

これも、日本流の教育の成果でしょうね。

>政党政治の劣化はかねてから指摘されてきた。

政治音痴の国柄ですからね。当然の帰結でしょうね。

>その度に、ならばいつの時点が劣化していなかったのか? 

体質ですからね。いつの時点といわれても。昔から。

>誰の政治と比較してその人は劣化を嘆いているのか? 等等、細かい点についても気にかけてきた。

どんぐりの背比べでしょうね。’考える人’ が見当たらない。

>ただ、今目の前にしているのは、劣化もなにも、二流にも及ばない三流、四流政治がドタバタと騒々しい音を立てながら崩壊し、以前ならとっくの昔に禅譲していただろうに、なおもポストを握りしめて離さない異様な光景である。

政治的センス (判断力) がないのだから、どうしようもない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。異様な光景である。

>これは恐らく、「千万人といえども吾行かん」(岸信介が座右の銘にしていた孟子の教え)の意味をはき違えているか、解釈変更しているのだろう。>「自ら省みて直くんば」が抜け落ちているように思えてならない。

我々は、反省が不得意ですからね。

>4年半前、民主党・野田政府の自爆ともいえる大政奉還(解散総選挙)によって、自民党は再び権力の座を手にした。

野田政府の腹切りですね。

>その「勝因」は政策云々ではなく、受け皿がないことにあった。

日本は、人材不足の国ですね。わが国には、人手不足はあるが、頭脳不足は聞いたことがない。どんぐりの背比べの状態では、選ぶところがない。

>自民党自身もそれ以前の選挙より得票数を減らしたのに、同じ選挙で民主党がおよそ2000万票近く得票数を減らした。>いわば他人が転けてくれたおかげで転がり込んだ1等賞だった。

‘Lucky Come 噛む’ ということですね。これは、英語ではありませんね。

>この政治不信と受け皿がない状況下で返り咲いたあだ花内閣が、その後自分たちの実力以上に自分たちを過信し、ことのほか思い上がって私物化に励んだうえで、退場を余儀なくされようとしている。

政治音痴のあだ花ですね。

>「美しい国」「日本の伝統」等等、叫びたいだけ叫べばいい。ただ、潔く散っていかない彼らにサクラは似つかわしくない。

風流であるのかな。彼らは、気分・雰囲気の話が得意ですね。

>ずるいのが奥の院で、そろそろ番頭役の安倍晋三がボロボロになってきたので、次は目先を変えて小池百合子率いる「日本ファースト」にチェンジしようとしているのが見え見えである。

気分一新ですか。難破船から逃げ出すネズミたちか。

>細野豪志をはじめとした民進党脱出組と「ファースト」に投機する元自民党や日本会議出身者などが野合し、「受け皿」もどきで急場を凌ぐ布陣にも見える。

無哲学・能天気な議員たちは、離合集散を事としていますね。

>みんなの党や維新の党に続く、自民党がダメになったときの宿り木確保、すなわち三番煎じである。

救命ボートは必要ですね。

>それらが改憲を唱え、まるで安倍自民党を批判するような格好をして同じことをやるという欺瞞である。>こうした目くらましに欺される訳にはいかない。

子供だましには、だまされないか。

>特定の政治家に限らず、政党や政治家というのが集団劣化している。

政治音痴の国柄ですからね。大同の提示がなければ、小異による混乱は収まらない。

>官僚も忖度が大流行してしまい、大手メディアも権力の監視という任務を放棄して久しい。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
文章には、理解が対応する。文章になっていないバラバラな単語には、忖度 (推察) が対応する。
忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者には何の責任もない。とかく、この世は無責任。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を以下のように強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>そして、独占資本は東芝筆頭にズタボロである。>これらがみんなして忖度している相手は米国だ。

日本人は、忖度 (推察) が大好き。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者には何の責任もない。とかく、この世は無責任。

>にわかにトランプの真似事ファースト劇場が始まろうとしている。

猿真似は、我が民族の得意技ですからね。
  



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