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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

集団と周り

2018-06-10 22:33:42 | 政治


>集団の中にいるとどうしても周りの動きが気になる、周りの判断が正だと捉えてしまう。

‘あるべき姿’ の内容が、’正’ ですね。’あるべき姿’ の内容は、’考え’ の内容である。’考え’ の内容は、’非現実’ の内容ですね。’非現実’ の内容は、頭の中にある。’現実’ の内容は、頭の外にある。’現実’ の内容は ’本当’ のことであり、’正’ である。’非現実’ の内容は ‘嘘’ であり、’誤り’ である。だから、日本人には、’あるべき姿’ の内容を ‘正’ と考えることが難しい。

>集団の中にいて大事なのは、当事者意識をもって行動することだと思う。

自己の意思を示せば、当事者・関係者になる。自己の意思を示さなければ、傍観者にとどまる。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、未来時制もなく、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がないので、方法がない。仕方がないので、無為無策でいる。これでは、当事者として行動できない。

>周りに合わすことは自分事と捉えず、他人に責任転換してしまっているだけである。

そうですね。
意思のある人には、責任がある。意思のある人たちは、加害者意識を感ずることもしばしばである。罪の意識を感ずれば、その行為は刑事裁判にかけられる。
意思のない人には、責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものがないからである。
自由とは、意思の自由のことである。意思のない人には、自由にも意味がない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ である。
意思がなくても、恣意 (私意・わがまま・身勝手) がある。意思は文章になるが、恣意は文章にならない。ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) のままでいる。意味もなければ、矛盾も指摘できない。議論にもならず、捨てられる。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
文章がなければ、その内容の理解は不可能である。英語のような低文脈文化の言語では、伝達される情報は言葉の中で全て提示される。だから、考えに対する議論も可能になる。
しかしながら、日本人は片言隻句をとらえて、意味のない事柄を忖度 (推察) する。歌詠みのようなものか。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者には責任がない。だから、日本語会話の議論では、’言った・言わない’ の論争はなじまない。日本語のような高文脈文化の言語では、言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」


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親切

2018-06-10 05:26:22 | 文化

>(前略)
>1つは、今の時代は、あらゆるモノが在庫になっていると思うんです。

そうですね。商店にも商品があふれていますね。

>生産能力がどんどん上がって、欲しくないモノをたくさん作るという状況です。

生産調整が必要ですね。

>実はお金も在庫になっています。>「投資」というと聞こえはいいですが、そのまま置いておいたらお金の意味がないから、お金に仕事をさせようとするわけです。
>それがものすごく難しくなっている。

低金利政策ですからね。金貸しは儲けが少ない。

>モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。

人間中心の世の中になりつつあるのですね。結構なことですね。

>モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。

そうですね。それにしても我が国では、’人手不足’ が深刻で ‘頭脳不足’ の声が聞かれないのはどうしたわけでしょうかね。天下の秀才なら、わんさといます。

>■「何かを生み出す人の価値が上がっている」 >―― お金と人の重要度が逆転しているということですか。
>腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。>特にインターネット上に。>だけど使い物になりません。

暗記力を駆使する人たちですね。他人の受け売りを事とする人たちでしょう。自己がない。リンクばかりの内容ですね。

>具体的に何かを生み出す人の価値はどんどん上がっています。>そのなかで「僕らがどういう仕事をして、どうやって自分を養うのか」、あるいは「自分たちが生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」ということを考えていけたらいいなと思っています。

それは、良いことですね。

>だから、資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。

そういうことですね。

>(中略)
>■したいことを今はできないと思い込んでいる >―― 今の状況は、資本主義に内在していた問題が表面化しただけだということですか。 >そうだと思うんですよね。

資本主義というのですかね。金稼ぎでしょう。

>よく語られる逸話としてこんな話があります。>金融市場みたいなところでバリバリ働いていた人が田舎町に出かけて、そこで釣りをしている人を見て「いいな、オレもいずれやりたいんだよ、リタイアして」と言う。>すると釣りをしている人が「今やればいいじゃないか。>オレはしているぞ」と言う。

金は手段にはなるが、目的にはなりませんからね。

>つまり、お金をいくら持っているかとか、どういう地位を持っているかに関係なく、「今、釣りができるのに、できないと思い込んでいる」というのが今の資本主義だと思えるんです。

万事金の世の中ですからね。人々は、そう信じ切っている。

>だから、仕事のなかに楽しい釣りの要素が1つは欲しいし、今すぐ釣りをすればいい。

それは、良いことですね。

>これがヒントのような気がしていて、僕はできるだけそうしたいと思って生きていますね。

稼ぎの中に息抜きが必要ということですね。

>■資本主義のなかでどう生きる >「自分の利益を考えることを休ませる知性」 >―― 僕は、自分の利益を優先する資本主義の代わりになるものとして、自分を殺してでも人を生かすという利他性がキーワードになるのかなと思っています。>「昔はよかった」というように利他性は資本主義と対立させて考えられがちですが、そうではなくて、混じっているのだと思います。

稼ぎながら使うということですか。

>つまり、「自分がどれだけ利益を得られるか」を考えることを休ませる知性が求められている。

金は手段にはなりますが、人生の目的にはなりませんからね。我々は、’あるべき姿’ の内容について考える人になる必要があるでしょう。
‘あるべき姿’ は、’今はない姿’ ですからね。これを考えるのは、日本人には難しいでしょう。

>知性をぐるぐる回転させることで、知性を休ませるというか。

処世術ばかりでは、息が切れますからね。

>たとえば、ものすごくくたびれている時にサウナに行ったら、気持ちがいい。>その時間は一銭も稼いでくれないけれど、行かずに仕事をし続けていたら死んじゃうというのも本当です。>ポートフォリオをどう作るかだと思います。

ポートフォリオとは、リスクヘッジのことですか。バカも休み休み行うことですね。

>その時、油断してはいけないのは、「昔、生きていた利他性が負けて、今の時代になった」という歴史があることです。

昔は ‘人情’ があったが、今は ‘世知辛い’ ということですか。

>自分がいかに利益を得るかと考える「知恵」を身につけた人間が、どうやって「昔はよかったね」と言われるようなこと、利他性を獲得するのか。>バカになるのも知性ですからね、今は。

バカではない。賢者でしょう。

>キーワードとして「親切」があると思います。>もしかしたら自分と利害が相反することかもしれないけれど、それをした方が、この場、あるいはこの先に対していい影響を与えるという判断をする。

NPO (非利益団体) の活動のようなものですね。

>そのことが自分にも快感になる。>それが「親切」です。>けっこう高度な知性だと思うんですよ。

そうですね。親切は、賢い人間のすることですね。

(略)


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