>○受け身的な人の思考パターン
日本人には、意思がない。だから、能動的な行動はとりにくく、受動的な行動が多くなる。
意思のあるところに、方法 (仕方) はある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人は、仕方がないから無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思は、未来時制の文章内容である。日本語文法には時制 (tense) というものが無いので、日本語脳には未来時制が存在しない。だから、日本人には意思がない。
日本語には時制がないが、英語にはある。だから、英米人は能動的な行動をとる。
>1.自分中心思考 >「~と私は考えました」「~をアピールする」と自分を主語に考える
主体的な考えですね。自主・独立の人ですね。英米人のような人でしょう。国際人になれますね。
>2.方法論思考 >「どうすればいい?」と方法論をすぐに考え始めるが答えがなく、1~10まで答えを求めてくる
思考停止の状態ですね。それでは、他人に従うしかない状態ですね。ポチになるしかないのかな。
>3.曖昧思考 >「何をすればわからない」と作業への落とし込みができない、解決策が分からないで堂々巡りしている
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。だから、意思のある人は自分の責任を果たすことができる。
だが、日本人には責任ばかりがあって、意思がない。義務だけがあって手段がないのでは、建設的な第一歩が踏み出せない。だから、日本人には、牛馬の苦しみに似たような状態がある。日本残酷物語ができる。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の意思の内容については詮索していなかったようである。
>4.完璧主義思考 >「~すると危ないか?」「~してはいけない」と完璧を求めて動けない
万全の注意ばかりで行動に出られない。正しい道筋が把握できていないので、不安ばかりが募る。
>5.被害者思考 >何で自分ばかりが、上司が悪いと相手の責任にしてモチベーションが下がっている
日本人には、意思がない。だから、能動がなくて受動ばかりがある。受動ばかりでは、ただ被害者意識が募る。恨みがましくなる。
能動があれば、責任を感ずる。加害者としての意識も出る。罪悪感も経験することになる。だから、反省する人間になる。考える人になる。
>○主体的な人の思考パターン
>1.相手中心思考 >「相手は何を求めているのか?」と相手を主語に考える
自分にしてもらったことよりも、相手にしてやったことの方をよく覚えている。相手の役に立つことは、より大きな満足を自分に与えることになるからであろう。
>2.目的思考
>「そもそも何がどうなればいいのか?」と目的を考え抜くことができる
仕事の目的を理解することは必要条件ですね。くれぐれも手段の目的化は避けなければなりませんね。
>3.具体化思考 >目的から発想して何をするか、何を聴くかを落とし込むことができる
具体的な内容が、非現実 (考え) の内容として頭の中に蓄積されていることが重要でしょうね。
>4.柔軟思考 >行動へのリスクを計算し、許容できる、行動計画を効果・効率の視点から柔軟に変更できる
柔軟な変更が必要ですね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>5.自分責任思考 >全ては自分のコントロールできることに集中する、自分への成長の意味を考え、モチベーションを向上させることができる
意思のある人は、現実対応策を考えだすことができますね。意思のない人には、問題解決の手段がない。他力本願・神頼みの内容を抱えている。
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>いかに自分発ではなく、相手発に変えることができるか。>成功の鍵はそこにある。(匿名希望)
自己が無いのは、良くないですね。自己の ‘あるべき姿’ を堅持することが、自己の目的達成には必要ですね。
相手に気を取られるのは良くない。相手の考えは自分とは別の考えであることをはっきりと認めることが必要でしょうね。人の考えは、あくまでも十人十色ですからね。
意見に違いのあることを認めれば、興味を持って相手と対話ができます。それが出来なければ、ご唱和の世界に住み続けるしかありません。これは、危険な状態です。一億総玉砕への道に続いていますね。
我々に大切なことは、まず自分の意見を発表することでしょう。それが他人と違っていれば、その相手との議論も可能になります。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示しています。正解は唯一ではなく、多数ある。お互いに、相手の個性を認めるべきです。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り去れば正しい考えとなります。ですから、対話は有効です。問答有用な社会を作り上げることが、我が国民には非常に重要なことと考えられます。
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