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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

最良の教育

2019-01-22 13:51:18 | 教育



>非常に幼い頃から、日本の子どもたちはベストを目指して競争させられる。>幼稚園、小学校、中学、高校。>それぞれの段階は、成功するための最良の教育を受けていると見なされる。

ベストとは、どのようなものですか。

>詰め込み教育(放課後に長い時間学習する)はそれらのほとんどの段階を占めている。>最終目標は最良の大学に入学することで、そのときすべてが変わる。>学校がすべてだった数年間の後は、ついに自分の人生を謳歌し、がむしゃらに勉強する必要はなくなる。

生涯教育とは、つながりがありませんね。

>日本の教育の目標は未来の日本を創造することであり、この点から言ってこのシステムは実によく成功している。

そうですかね。未来の日本はどのような内容になるのですか。

>日本の学生が18歳となったとき、彼らは真の日本人は日本語以外話せないということに強い確信をもつようになる。

国際社会で、日本人は口がきけないということですね。困ったことですね。

>nihonjinron(日本人論)や日本人のユニークさに完全にくるまれ、日本国外の事柄を無視し、彼らの今後50年の生活のためにどうすればよいか完全に精通し、ほとんどすべての認識の技術を欠き、外国人恐怖症となり、目立たず、出る杭にならないよう精神的に完全に訓練されている。

超国家主義 (国粋主義) の人になるのですか。

>日本の教育システムでは、いかに日本人となるかが第一のゴールとなる。>ときが経つにつれ、若者はより保守的になっていった。

島国根性の人になるのですか。資源小国の日本は、生きてゆけませんね。

>外国に対する興味は驚くほど欠如しており、ロボットとなる以外のいかなる望みも持たない。

最近の日本人は内向き志向の人になっていますね。ロボットになりきってしまえば、自己の意思を他人から詮索されることもない。だから、心の安寧を得られます。

>これはインターネットの情報に簡単にアクセスでき、旅行費用は安く、大部分の日本人が裕福であることを考えると不思議なことである。

心の安寧が、何よりも大切ですね。それ以外の事柄は、あまり気にならないことでしょう。

>実際にはほとんど学習が行われない――生徒たちは、成功に必要な批判思考(クリティカル・シンキング)の精神をほとんど与えられない。

日本人は、頭を働かせることが苦手ですね。

>日本の教育制度は、ほとんどの人が高卒で工場で働くような時代にデザインされたものだ。>この種の教育は、大量生産と大量消費が経済の原動力となるような工業化された社会ではよく機能する。

ただ今わが国は、深刻な人手不足に陥っている。だが、頭脳不足と言った話は、聞いたことがない。日本人は、頭脳労働を人手によって補っているに違いない。だから、人手不足だけが起こるのでしょう。

>しかし、世界は変化している。>アイデアのクオリティや、問題解決の創造的な能力が経済世界や個人の成功を決定するようなポスト消費者主義社会へと。>いくつかの国はこのことを学習したが、日本は明らかに理解が遅く、さらに教育世界がこの現実に適応するのはさらに遅い。

そうですね。日本人は、考えることが苦手ですからね。

>日本経済が減退していることのいくらかはこれによって説明できる。

そうですね。経済に適応できなければ、衰退しますね。

>教育問題と社会問題を混同しているかもしれないが――日本の教育システムの失敗を世界発展の観点から見ると――創造性の欠如、独創性の欠如、グローバルな領域で交流が不可能であること、世界の仕組みに関する部族的な理念(石器時代のようだ)、意思決定や方向決定に対する無能性や無意思、完全な受動性が存在する。

創造性の欠如: 非現実 (考え) の内容を現実の世界で実現できれば、それは創造である。日本人には、非現実 (考え) の内容がないから創造は難しい。

独創性の欠如: 個人的な考えの内容を作成できれば、それは独創である。わが国では、個人主義が理解されていないから独創性にも目が届かない。それで、猿真似になる。

グローバルな領域で交流が不可能であること: 日本人には、世界観がない。日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、非現実 (考え) の独立した三世界 (過去・現在・未来) を脳裏に描くことができない。だから、目先・手先の内容には注目するが、全地球・全宇宙規模の構想を自己のものとして語ることができない。

世界の仕組みに関する部族的な理念(石器時代のようだ): 上下判断に基づいてもっぱら序列構想のみを展開する。だから、世界の端にまで達する構想の内容が述べられない。

意思決定や方向決定に対する無能性や無意思: 日本人には意思がないから、意思決定は無理である。哲学もないから、未来の方針に関する方向性の決定も難しい。

完全な受動性: 日本人には、意思がない。だから、受動性はあっても、能動性はない。これにより、完全の受動性ということになる。

意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在しないし、日本人には意思がない。

>特筆すべきは筆記形式の入学試験である。>このことが日本教育について何を語るだろうか。

自己の発想がないところで筆記をするのだから、暗記した内容を書くしかない。他人の考えの受け売りの得意な人間ばかりが増産される。

>これは学生たちに次の段階の教育へ橋渡しするために、十分な装置なのだろうか。

次の段階は存在しないでしょうね。

>この国の塾Jukuの必要性について対処してはどうか――だいたい、なぜ子どもたちは魂を破壊するようなところへ行かなければならないのだ。

この国には人間の序列がある。だから、その順位を優位な条件で決定する為に塾に行く必要があるのでしょう。

>学校における画一的な教育についても対処する必要がある――言いかえれば、批判精神の欠如や問題解決能力が行われていないことに対処すべきだ。

その対処法はあるのか。
現実の内容は、ただ一つである。だから、現実の内容だけを述べる人たちは異口同音で、個性がない。それで、画一的になる。
非現実 (考え) の内容は、人さまざまである。だから、その内容は多数あり、それぞれが個性的である。
現実の内容は、頭の外にある。その内容は、見ればわかる。日本人の判断によると、見えるものは ‘本当のこと’、見られないものは ‘嘘’ である。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。話がわかるためには、内容を理解する必要がある。考えの内容は、見ることができないから ‘嘘’ であると判定される。考えを述べることは、嘘をつくことになる。だから、誰も自己の考えを述べることをしない。見て来たような嘘をつく気にはなれないのである。そして、他人の考えの受け売りばかりをする。
矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示している。矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除くことにより正しい考えとなる。だから、相手との対話が役に立つ。対話のできない人は、独りよがりに陥りやすい。’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と事後に考えて自分を慰めている。非建設的なこと限りなし。
無哲学・能天気の人には、批判のよりどころは得られない。思考停止では、問題を解決する文章内容は得られない。自己の頭を働かせることが、問題解決のカギになる。
では、どうしたら自己の頭を働かせることができるのか。
それには、非現実 (考え) の内容を文章にする方法を獲得すればよい。
日本語には、文法に時制というものが無いので、非現実の内容を文章にすることができない。だが、英語にはある。だから、英米流の高等教育は価値がある。日本からの留学生は英語ができないから授業についてゆけない。だから、挫折する。わが国には、留学の人気がない。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を学んで時制の重要性をよく理解して、時制のある文章の作成を習得すべきである。さすれば、我々も自己の考えを表現できるので、国際社会においても意思の疎通が可能になる。
自己の意思を表現すれば、その人は当事者・関係者になる。表現できなければ、傍観者にとどまる。わが国は、世界の中にあって世界に属して ‘いる’ のか、それとも ‘いない’ のか。答えが出る。

>現在の教育システムは、標準試験の要求に向けてすべてが調整されている。

標準とは何ですか。誰が調整しているのですか。



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