>国家主義が日本人の「常識」を支えつづける
日本人の常識は、序列ですね。わが国の相対序列は、排他的です。自己の属する序列を中心にして内外に関する考えを巡らしています。国家主義は、序列を基礎に据えた内外の区別を強調します。
>日本は明治時代以降、西洋の「常識」にさらされ、日本人の「常識」への懐疑を持っただろう。
立憲主義・人権・民主主義など西洋の常識が喜ばれましたね。でも、日本人の体質に合わないでしょう。
>しかしそれを回避したのが天皇を中心とする国家主義である。
天皇を頂点とする序列制ですね。序列に縛られた滅私奉公で国家を支えましたね。
>西洋の植民地化を避けるために、国家主義のもと、実質的に江戸時代から続く階級制度を維持しつつ、一丸となって経済発展を目指す絶対主義体制である。
そうですね。絶対主義体制でしたね。序列協力には、昔から日本人は慣れていますからね。
>西洋の産業技術はどん欲に受け入れながら、西洋から持ち込まれる民主主義、特に左翼思想は弾圧された。
民主主義は、衆愚政治に置き換えられていますね。自由・平等・個人は、成り立たないから違和感がある。
自由: 自由とは、意思の自由のことである。しかし、日本人には意思がない。だから、自由にも意味がない。しかし、日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は、どこの国でも認められない。これは、’自由のはき違え’ と言われている。だから、’不自由を常と思えば、不足なし’ である。
平等は、差別のないこと。序列社会は、序列差別で成り立っている。序列が通れば、平等が引っ込む。
個人主義は、利己主義と間違えられている。個人の区別は、考えの内容による。日本人は、無哲学・能天気であるから考えには内容がない。だから、個性がなくて没個性がある。これが、ご唱和の世の中である。
>市民革命を回避するためだけではなく、日本人の連帯を疎外する「常識」への懐疑を排除するためである。
日本人の連帯は、序列で成り立っている。外来の常識を利用して日本人の序列 (連帯) への懐疑を排除する必要はない。それは、日本語 (階称・言葉遣い) そのものの排除になります。
>このような国家主義傾向は昭和を経て戦後になっても続く。
そうでしょう。国家主義的傾向は、序列国家主義的傾向のことですね。
>なぜ米国が戦後も天皇制を継続したのか。
天皇制を廃しても、第二・第三の天皇制ができることでしょう。
>その一つがすでに始まっていたロシアとの冷戦構造において、日本を左翼化させないためである。
左翼には、人間序列と現人神が存在しない。わが国における根無し草です。
>すなわち天皇制を否定することで日本人が「常識」への懐疑に陥らず、継続して国家主義を維持するようにする。
日本語と序列は、日本人の常識ですね。だから、天皇制もついてくる。
>当然、それまで国家主義を推進してきた軍部は解体されたが、制度的な民主主義は取り入れられつつも、天皇制は継続、そして財閥は実質的には維持された。
日本人の連帯は、序列体制ですからね。姿を変えても序列は残ります。
>戦後、国家主義は財閥などの大企業を中心とした会社社会として生き延び、日本の経済復興を推進した。
序列社会の協力によるものですね。序列体制の下で、大勢の社畜が育てられました。
>国家の庇護の元、大企業を頂点とした下請けへと広がるピラミット構造による護送船団である。
‘玉すだれ’ のような社会構造ですね。縦に連なる人間関係が、日本人の国家への帰属意識を強めていますね。
幕末において、江戸幕府と薩摩藩はフランスとイギリスの外国勢力を組み入れることなく、江戸城を無血開城した。これが外国であれば、列強の勢力をお互いに自己の側に組み入れて党利党略に明け暮れることであろう。
現在のシリアでは、ロシアに組みする政府勢力とアメリカの支援を受ける反政府勢力との間で、血を血で洗う内戦にいとまがない。永遠に続く関ヶ原の戦いか。これでは、国民は難民にならざるを得ない。
>これによって終身雇用を基本とした会社社会の中で、また日本人は懐疑することなく「常識」を信じ続けることができた。
日本人の常識は、階称 (言葉遣い) に基づく序列ですね。無哲学・能天気の没個性による滅私奉公。代々仕える忠義な家臣 (家元制度)。昔からの日本語に基づく仕来りに慣れ親しんでいるようですね。
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