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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

武士道

2019-02-06 23:26:59 | 言語


(略)
>武士道が「日本固有の常識的な考え方」であり、男女の区別なくすべての日本人に根付いた思想であることを世に広く知らしめた一冊として、武士道人気に一役買ったことは言うまでもない。
>先月、その [‘武士道の精神の’] 姉妹編とも言うべき待望の最新刊『女子の教養(たしなみ)』が上梓されたのだが、これが前作に続き再び話題を呼んでいる。>「前著では、“明治女”である私の祖母から聞いた『55の言葉』をベースに、武士道の本質や道徳観念などについて記しましたが、本著では祖母の流儀の中でも特に大切だと思えること、普段から私自身が心掛けていることを中心にまとめました。>日常生活での何気ない挙措や言葉遣い、表情や目線など、より具体的な内容になっていますので、その意味では、前著の“実践編”と呼べる一冊に仕上がっています」

礼儀作法や階称 (言葉遣い) には、‘上とみるか・下とみるか’の判断が必要ですね。日本人の判断は、世俗的にならざるを得ませんね。考えに、自己独自の基準が存在しません。世俗 (世の中・現実) が日本人の全てですね。

>こう話すのは、本書の著者である石川真理子さん。元米沢藩士の娘である祖母のもと、厳格な躾を受けて育ったという石川さんの物書きとしての姿勢は、あくまで「作品の主人公は読者の皆様」であり、「自分の想いを書き記すことは極力控える」ことだというが、戦後70年という大きな節目を迎えた今年、どうしても本書内で伝えたい“想い”があったという。

思考停止ですか。

>「それは、この70年間で現代人が失ってしまった一番の根っこの部分、つまり“先祖との繋がり”について、もう一度深く思いを巡らして頂きたいということです。

これは、万世一系の〇〇という発想法ですね。

>敗戦による戦禍から奇跡の復興を遂げ、世界でも有数の経済大国へと成長したことそれ自体は確かに素晴らしいことですが、それに反比例するように日本人としてのアイデンティティが薄れていって、まるで“根無し草”のような感覚を持った人が増えていると感じます。

‘根無し草’ であっては、どこの馬の骨かがわかりませんね。経済大国とアイデンティティは反比例するものでしょうかね。

>結果、先祖から連綿と続く命の楔の先端に自分が存在することに無自覚なことはもちろん、生きている意味や人生において何を為すべきかということに思いが至らないわけで、どうしても生き方が無責任にならざるを得ない。

日本人には、意思がない。意思のない人には、責任もない。

>元来、日本人は八百万の神を信じ、万物に宿る神々を支えに生きてきました。

そうですね。特定な個人 (個神) の意思を聞く習慣は、ありませんでしたね。

>それは、人生における数多の苦しみを少しでも軽減し、人生をより豊かなものにするための“確かな方法のひとつ”として実践されてきたものではないでしょうか。

そうでしようね。意思のない人間の苦しみは、牛馬と似たようなものになる。

>今こそ、先祖との絆を再認識することで日本人としての誇りを取り戻して頂きたいと強く願うし、本書がその一助となればこんなに嬉しいことはありません」

あくまでも、’絆・絆’ ですね。
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思考停止

2019-02-06 20:37:33 | 政治


>私たち日本人には共同体意識が色濃く残っており、それは現代でも多くの人が日本人の長所として実感するところであろう。

‘和をもって尊しとなす’ ですね。

>しかし一方で、外交や国際競争では他国に遅れを取り、官僚の暴走を眺めるだけで何もしようとせず、マスコミに支配されて思考停止している日本人の状況を見ると、このままではダメになってしまうという強い危機感を覚える。

日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思がないので、仕方もない。無為無策でいる。

>そもそもこれらはどういう構造にあるのだろうか?

これらは、我々の言語構造にあるのだと思いますね。

>日本は島国という特性から、外国から侵略されることがなく、共同体が破壊されずに残り続けてきた。

だが、アメリカさんにはやられました。言語構造は、守られていますね。

>従って、今でも(西洋人と比べて)警戒心が少なく、思いやりとか謙虚さといった性格が残っている。

そうですね。相手に騙された時は、ただ、’相手を信じた’ と誇らしげに言う。その信じる根拠を述べることはない。どこか、抜けている。

>(※ちなみに「出る杭は打たれる」というのは序列社会・私権競争社会でこそ見られる現象で、武士や商人階級などでは日常的であっただろうが、大半の村落共同体社会においてはあまり発生しなかったのではと推測される。)

序列秩序を励行すれば、出る釘は見あたらないでしょう。

>しかし明治~戦後にかけて取り入れてきた、或いは押し付けられた、西洋の価値観や制度(その中心は個人主義)によって、共同体は破壊され、同時に共同体が持っていた規範も解体が進んでいった。

そうですね。思考停止の国民に個人主義を教えたら、それは利己主義と間違えられますね。利己主義の蔓延で、共同体は破壊されますね。

>さらに70年以降、社会の統合原理が序列原理から共認原理に転換したのを背景に、マスコミが第一権力化したことで、大衆はマスコミが垂れ流す西洋由来の「権利」や「個人」といった価値観に染まっていった。

無哲学・能天気の国民に権利と個人 (考えの単位) を教えることは難しいですね。

>個人が第一になれば、当然周りのことより自分の私益が優先され、社会秩序は崩壊していく。>これが現在に至る、日本がガタガタになった背景である。>(尚、現在の西洋社会の行き詰まりを見ても、個人主義ではこれからの時代は適応できないことは明らかであろう。)

個人は、考えの単位でなくてはなりませんね。ところが日本人は、無哲学・能天気で思考停止に陥っているために、個人が考えの単位にはなりにくい。個人が利益の単位と考えられていると、私利が優先され、社会秩序が乱れます。

>西洋文化に見られる「自己主張」や「個性」が実現しようとしたものとは、この私益(私権)獲得に他ならない。

自己主張も個性も、考えに関することでしょう。世界観の内容に関する考えでしょう。思考停止の人間たちには、関係がないことの実現でしょう。

>つまり西洋文化を取り入れてきた帰結がこのガタガタ現象であり、むしろこれからはそのような個人主義観念を封鎖し共同体性を再生していくことによってしか、生き残ることはできないと考えられる。

西洋文化の取入れに失敗した結果が、このガタガタ現象でしょうね。言語構造の理解が進まないと、個人主義の理解も進まない。

>とは言え、確かに日本人は戦えないし、社会のこともあまり考えたことが無いというのも事実であり、これらの壁を突破していくことがこれからの日本人に求められている。

そうですね。無哲学・能天気の思考停止の状態では、壁の突破は考えられませんね。

>但しこれからの戦いとは、自分の私益のためではなく、仲間や社会を守るための戦いである。

そうですね。新しい社会の建設は、考えられませんか。

>社会が共認原理に転換し、同類圧力(周りからの期待)が最大の活力源となった現在、日本人が持つ共同体性を再生していくことで、初めて日本人は頭を使い出すのではないだろうか。

個人が自分の頭で考える。あくまで個人対個人の競争ですね。民主的な方法で最も人気のある個人を選び出す。選ばれた個人の内容に従って新しい社会を作ります。この方法がよろしいかと思いますがどうでしょうね。


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