(略)
>2.1同一性
>日本人は一般に他人とはかけ離れた行動をとることを好まない。
そうですね。
>したがって、自分の行動を決めるにあたっては、他人がどう行動しているか、あるいは他人からどう思われるかに気をかけたり、それに影響されたりすることが多い。
そうですね。日本人は、空気を読んで行動しています。高級官僚もそうです。
>日本人は仲間外れにされることを恐れる。
そうですね。’よその人・外人・非国民’ になることは恐ろしいことです。‘村八分’ は恐ろしい。共同作業が不可能になる。
>そのため、強く自分を主張することよりも、周囲と同調して、たとえ意見が違ったとしても「丸くおさめる」ことを好む。
そうですね。’和を以て貴しとなす’ ですね。
>つまり自分自身の考えを持って目立つことよりも、人の考えに同調して「平均化」しようとする。>「出る杭は打たれる」 ということわざの言うように、日本人の強い中流意識が代表的な処世術だと端的に表されている。>このような見方、態度、行為は時の流れにしたがって、日本の国民の普遍性となっている。>たとえば、欧米人は自分の意思や意見を直接相手にぶつけて強く自己主張するに反し、日本人は相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする傾向が強い。
そうですね。言動の矛盾は気にならないところですね。
>さらに、日本人にはイエス、ノーをはっきり表明しない傾向がある。
日本人には意思がない。だから、その内容に関して肯定・否定をはっきりさせることも難しい。
日本人には意思がないのだから、’自己の意思に反して’ と言い訳することも難しい。
>そのため、日本人の同一性は、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統などに基づくものである。>日本人は第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンがたくさんあった。
‘没個性’ の表れですね。人の意見は ‘さまざま’ である。個人意見がなければ、’さまざま’ もない。
>また、今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果たしては学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根が張っている。
‘他と同じになりたい’ というメンタリティで満ち満ちている。私の土地では、これを ‘見たもの乞食’ という。
>集団社会の中で同調性がもっとも望ましい性質とされ、みんな一丸となって行動を起こすことが理想的とされてきた。>たとえば、衣服からみると、日本は一番制服が多い国かも知れない。>警察、車掌、店員、ウェーターなどが制服があるし、小学校、中学校、高校さえ統一の制服がある。>これは日本人にとって、統一の制服を着れば、集団に属する感覚が生まれて、同一性が表現されている。
そうですね。制服は、自己の帰属意識を表現できますね。法被を着れば、満足感が得られます。
>2.2序列性
>日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがありますからね。’上とみるか・下とみるか’ の判断は、常に必要ですね。そして、序列に連なる。上下関係を意識しながら思うがままに話ができる。
>そして、日本人が集まると、その集団の中での序列が重要な意味をもっている。
日本人の礼儀作法は、序列作法に基づいていますからね。序列を知らなければ、礼儀正しい日本人にはなれません。だから、序列は重要です。
>席に着く順序があり、日本式の和室では、入口の反対側にある「床の間」の前が上座であり、入口付近が下座になる。>年齢の上や地位の高い人が「上座」に座る。>日本人はあまり謙遜であるかも知れない、多くの人が下座に座ろうとして、座る場所がなかなか決まらない、という場面がしばしばある。
これは、日本人の難しさですね。
>民主化、平等化が進む近代社会なのだから、日本の社会は疑いなく徹底した実力主義をとっているに違いないと思われるが、実は、日本の多くの職場では個人の能力差は最小限に考えられ、年功序列という不平等が幅をきかせている。>年功序列とは同じ年次に入った人たちが同じ階層を構成し、給料と地位ではほぼ同じ取扱いを受ける。>勤続年数が長くなるに従って、給料と地位が上昇していく慣行のことである。>集団では年齢、入社年次、勤務期間が長いか短いかなどによってタテの序列ができている。
こうした慣行も一種の礼儀作法ですね。
>人々は自分が序列のどの位置にいるかを常に意識して行動する。>企業や官公庁などの職場はこのような序列関係がもっとも顕著である。
日本人の人間序列の世界ですね。しかし、こうした序列は、全世界的 (global) でもなく全宇宙的 (universal) でもない。話が兎角小さくなりますね。
>また、日本語の中に尊敬語や謙遜語が存在するのもそのためであるし、結婚式の席順やスピーチの発言順までが常に序列を意識して行われる。>日本の集団は、職場はもとより、地域の集まりや趣味の習い事のグループであっても、その集団を構成する人々の結びつきが強く、集団の中での地位の上下関係が重視され、それにしたがって振る舞うことを期待されるケースが多い。
日本人は、その場の空気に合わせて自分の態度を大きくしたり小さくしたりしなくてはなりません。
>こうした序列社会では、情緒的な一体感が生まれやすいのである。
‘同期の桜’ は歌になる。
>日本の集団主義もこれによって支えられていると言える。>このような社会現象は世界でも特異なものだとよく言われる。
階称は、韓国語にもありますけれどね。その用法は、日本とは違っています。
>でも、最近は変化しつつある。>日本経済は低成長期に入っているので、多くの企業が昇進や給与を決める場合、能力重視の傾向を一層強めている。>さらに、従業員の高齢化や定年延長などによって人件費がかさむことから、年功序列型の給与体系を見直す企業も増加している。
そうですね。序列発想法には、先がないですね。
>2.3組織性
>日本人は自分の属している組織との一体化を図り、自分を犠牲にしてもその組織のために懸命に尽くす。>このような組織との一体化、組織への忠誠は端的に日本人の集団意識を表現している。
‘君に忠、親に孝’ ですね。近頃では、冴えないですね。
>日本人は組織の中で泳ぐという言葉がある。>自分がどこの所属をしているかを常に意識する。>この組織の中で自分の位置づけや役割を明確しないと落ち着かない。
日本語には、階称 (言葉遣い) がありますので、’上とみるか・下とみるか’ の判断が必要です。自分の位置づけや役割が把握できれば、流暢な日本語会話も可能になります。
>それで自分の位置づけにしたがって行動する。
そうですね。ですから日本人は、時と所に従って自己の態度を大きくしたり小さくしたりしなくてはなりません。
>集団主義といわれるように、集団では、異を唱えたり、背をむけたりするものには「村八分」 という処罰がある。>これは「内」と「外」という意識が強いという表現である。
韓国人は絶対敬語を使いますが、日本人は相対敬語を使いますからね。ですから、日本人には内外の区別は避けられません。
>個々の人々はこの「うち」を離れると、うまくいかないと意識し、周りの人々は、誰でもこの「内」を守らなければならないと意識している。>「旅の恥はかき捨てて」 という言葉があるが、これは「外」の社会に入った時の日本人の意識をよく表している。>「外」の社会では、自分を暖かくするので、周りに対して勝手な行動が許されると思う傾向がある。>「内」の人関係では絶対にしないことが「外」の人に対して平気で行われたりするのである。
そうですね。日本人の礼儀作法は、序列作法ですからね。日本人は、 ‘序列なきところに礼儀なし’ ですね。
>日本の企業も集団主義といわれるように、人間関係の和を重視する。
哲学 (考え) で結束することは、難しいですからね。
>そのために、企業ではフォーマル及びインフォーマルなさまざまな催し物が行われる。
親睦を目的とした集会ですね。
>一般に人生の大半を一つの会社で過ごすためにおのずとつきあいは会社中心となり、こうした人間関係を円滑にすることはビジネスマンにとって重要な条件でもある。
農村風景ですね。会社村ですね。社畜もいますね。
>多くの会社では、定期的に組織全体、あるいは各セクションごとの行事が行われる。>それは従業員の家族も参加する運転会であったり、社員旅行、転勤者に対する送別会、あるいは歓迎会、年末の忘年会などさまざまである。
家族参加型の催しにより、言葉を交わすことのできる人の範囲が広くなりますね。
>このような行事は日本の会社の家族主義的慣習で、人間関係を緊密にするとともに、組織は運命共同体であるという意識を持たせ、組織の活性化を図るという効果もある。
そうですね。日本人は、序列を離れては行くところがありませんからね。序列人間は、見識が狭くなりがちですね。’あるべき姿’ を研究して、国際人になろう。
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