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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

閉塞感

2019-02-15 15:04:06 | 言語
 
>佐藤有志 ( 55 ) 19/02/15 AM10
>現代社会は、大衆の意識でできている。

そうですね。我々の意識で日本社会はできていますね。

>だから、閉塞感の強い今の社会を変えるには、大衆の意識を変える必要がある。

そうですね。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がないので、方法がない。仕方が無いので、無為無策でいる。だから、閉塞感を強く感じています。

>現在の社会閉塞の元凶は、学者・教師・マスコミだが、彼らを打倒すべく革命を起こしたところで、大衆の意識が変わらなければ意味がない。

インテリ (学者・教師・マスコミ) が社会閉塞の元凶であるのは、思考停止であるからですね。受け売り専門家ばかりでは、どうにもならないから閉塞する。自分自身の考えが必要ですね。Everyone needs a philosophy.
革命という名の 打ちこわし’ では、社会閉塞は変わりませんね。必要なのは、意識改革ですからね。頭の中への介入が必要ですね。大衆の意識が変わらないのは、国語が変わらないからでしょう。

>だから、素人である我々大衆が、国民の一人ひとりが、特にこれからの社会を担う若い世代が、学者・教師・マスコミが洗脳する旧観念の無効さ・犯罪性を見極め、認識力・追求力を自ら高めていく事が必要。

インテリのみならず、素人が考える人になることも必要ですね。洗脳と受け売りが流行るのは、思考停止の状態が国民の間に永続しているからでしょう。

>ただし、一人では追求活力も継続しない。

そうですね。でも、考える人間一人一人が大切ですね。国民全体が烏合の衆では、どうにもなりませんからね。

>これからの追求の中身は、教科書や既知の知識を超える未知領域に踏み込むことが必須。

そうですね。一人一人が独自に考えれば、教科書や既知の知識を超えることができますね。未知の領域には創造力が必要です。既知の領域には暗記力が必要ですね。

>一人では続かない、突破できない可能性が高い。

そうですね。でも、独りずつの考えが大切ですね。全体が一人ずつになっていることが重要ですね。個人主義 (individualism) を広めることが必要でしょう。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。見ればわかる。考える必要はない。思考停止の人は、議論しない。ただ、’やってみなければわからない’ とだけ答える。演繹力・洞察力がない。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。論旨を理解しなければ、話の内容はわからない。
非現実の内容は、時制 (tense) のある文章になる。非現実の世界は、独立した三世界 (過去・現在・未来) になっている。非現実の世界の内容は、世界観になる。時制は、英文法にはあるが、日本語文法にはない。だから、英米人には世界観があるが、日本人にはない。だから、日本人の話は、とかく小さなものになる。夢と希望の内容は、こうした小さな枠組みの中には入らない。
現実ばかりが存在する日本人の判断によれば、見ることのできる内容は、真実・事実であると断定される。見ることのできない内容は、嘘である。考えは、見ることのできない内容であるから嘘になる。誰も見て来たような嘘をつきたくはない。だから、自分自身の考えの内容を語らない。これが、思考停止の状態に陥った状態である。この状態が長く続けば、もっぱら他から教えられる事実を暗記することが頼りになる。これが、洗脳である。そして、学生は、受け売りの専門家 (評論家・批評家) となる。これが、わが国の知的関係の仕組みである。

>だから仲間と一緒に追求する事が不可欠になる。

理解を深めて力を合わせることが必要ですね。我々は、仲間とも仲間でない人とも対話できることか必要になりますね。それは、伝統的なわが国の無哲学・能天気を撲滅することが目的ですからね。

>(以上は、2/9の実現塾で展開された内容の中でも、大きな気付きを得た一節)


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子供の描かれ方

2019-02-15 10:34:41 | 言語

(略)
> 欧米と日本では子供についての見方は大きく異なるようです。>「街場のアメリカ論」内田樹:著から紹介させていただきます。> 以下引用(順序入れ替えを含む)~~~~~~~~~~~~~~~~~
>アメリカの映画や漫画やテレビドラマを見て、そこでの子供の描かれ方がどうも「かわいくない」と感じるのは私だけでしょうか。

そうですね。かわいくないですね。西洋人の子供用の人形も、わが国の人形ほどかわいくないですね。

>ものすごくかわいい子供が出てきて、胸がきゅんと詰まって、ふれたい、抱きしめたい、保護したい・・・といった感情を無条件に発露させるような子供の描き方を私は見た事がないのです。

そうですね。西洋人は、子供に人間味のある接し方をしていませんね。客人が来ても、子供は挨拶だけして自分の部屋に引っ込んでいなくてはならない。子供を中心にして客人をもてなす日本人の習慣に、西洋人は戸惑いを覚えます。無意志の子供の行為が話題の中心になるのか、意思ある大人の行為が話題の中心になるのかが大きな違いになります。意思を中心にした話では、子供は出る余地がありません。日本人にも意思がない。だから、日本人は、話題が無意志の子供に向っても違和感がありません。

>アメリカの物語で描かれている子供は、みな生意気で、どちらかといえば邪悪なのです。

そうですね。漫画的ですね。子どもは、恣意により行動しています。これは、アニマルと同じです。そして、アメリカ人は、恣意 (私意・我儘・身勝手) を敵視していますからね。それを見て、日本の鬼は笑っているが、西洋の悪魔は笑っていない。
日本人は恣意を本音と呼んで、建前 (口実・言い訳) とセットにして容認する傾向にあります。恣意は、’出来心’ というのでしょうかね。恣意にはリーズン (理性・理由・適当) が無いので、説明責任はとれません。それで、信頼されません。とかくこの世は無責任’ となります。

>これは私1人の見方とは思われません。

そうですね。日本と西洋の根本的な違いでしょうね。日本人は、子供の世界に住んでいるのでしょうかね。’建前と本音’ の世界をおさらばできるのか。

(略)


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