>放送作家・戦略的PRコンサルタント、野呂エイシロウ氏の心に響く言葉より… >大企業への就職活動に失敗した僕が放送作家を目指した理由は、比較的自分が得意な分野でお金が稼げて、かつ楽しそうな職業だと思えたからです。>楽しそうだというのはおまけの理由で、第一義はお金を稼ぐこと。>僕が今でもなお放送作家としてせっせと原稿を書く目的は、ヒットを飛ばしてお金を稼ぐことにあります。
あなたの稼いだお金は、自分の夢と希望を実現するための手段になりますね。
>ところが、「放送作家になること」が目的になっている後輩が結構いるのです。>放送作家になることを目的にしてしまえば、小さな仕事が来た段階で目的は達成されてしまうから、大きく伸びていけません。>実際に、いくつかの番組に関わった後すっかり仕事が減ってしまって、年収200万円程度しかとれずにいる自称「放送作家」がゴロゴロいます。>医者になりたい。>弁護士になりたい、デザイナーになりたい。>かっこよくて聞こえのいい職業につくことを目的にしている人が、あなたの周りにもいるのではないでしょうか。>しかし、職業は目的ではなく手段です。>その手段の先にあるものこそ目的なのです。
そうですね。職業は金を得るための手段、金は手段にはなるが目的にはならない。金を目的にすると、不毛な人生を送ることになりますね。
>医者であれば「亡くなった父親と同じ肝臓病の患者を一人でも多く救いたい」というようなことです。>そこを勘違いしてしまうと、とても不毛な人生を送ることになります。
この国には何でもあるが、ただ、夢と希望だけがない。現実の中には、夢と希望は無い。非現実 (考え) の中にこそ、それらがある。
現実の内容は、和文で表現できる。だが、非現実 (考え) の内容は、表現できない。
現実は見ることができる。非現実は、見ることができない。見ることができるものは、本当のこと。見ることができないものは、嘘である。誰も見て来たような嘘をつきたくはない。だから、わが国では非現実は語られない。しかし、夢と希望の内容は、非現実の中にある。
非現実 (考え) の内容を文章にするためには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制のある文章は、独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。夢と希望は、未来時制の文章内容になる。
時制は、英語にあって日本語にはない。だから、英米人は夢と希望を語るが、日本人は語らない。それで、アンハッピーな人生を送ることになります。
(略)
>ビジネスは、一人で行うことはできません。>お互いに目的を持った人たちが集まり、それぞれの目的を達成しようとすることで成立します。>だから、自分の目的はきちんと開示すべきだし、相手の目的もわかっていなければなりません。>それを曖昧にすると、みんながアンハッピーになります。>ところが、往々にして、お互いの目的をきちんと確認しないまま、一緒にビジネスを始めてしまうのです。>とくに、金銭的な面について日本人はストレートに言うことを避ける傾向にあり、後々禍根を残します。>仲がいい友人とのビジネスが失敗しやすいのは、お互い「わかってくれているはずだ」という甘い読みがあるからです。>自分の目的と相手の目的には、合致する部分もあるし異なる部分もある。>その異なる部分について、「わかってくれているはずだ」と考えるのは、非常にまずい。
そうですね。相手の忖度に不確かな期待を掛けることになりますね。日本人に未来時制の内容を聞き出すのは非常に難しいから。
>相手の目的をかなえてあげれば、その対価としてお金が儲かるというシンプルな法則を、僕は学生時代のアルバイト経験を通して学びました。>お金を払ってくれる相手の目的にシンプルにフォーカスする。>ここを間違えなければ、ほとんどのことは解決します。>もし、相手の目的が掴みにくいと感じたらどうするか。>答えは簡単。>聞けばいいのです。>『終わらす技術 (Forest2545Shinsyo 42)』フォレスト出版
そうですね。相手に目的を尋ねることが大切ですね。
>南の島のビジネスマンという、有名な寓話がある。>あるエリートビジネスマンが、南洋の島にバカンスでやってきた。>そこで、ヤシの木陰で寝転んでいる地元の漁師と出会った。>「どうして仕事もせず、昼間からのんびりと寝転んでいるんだい?」と聞くと、「午前中に漁を何時間かしたらそれだけで食べていけるんで、休んでいるのさ」と漁師。>「なぜ、もっと働かないのだい?そうすればもっと稼げるのに」とビジネスマンがいうと、「もっと稼いでどうするんだね」と漁師。>「もっと稼いで、お金をためて、もっと大きな漁船を買って、人を雇い、それを加工する工場も建てることだってできる。そうして、会社をつくって、それを大きくして、やがて会社を上場する。そして、その株を売って多額のお金を手に入れることができる」>「それから、どうするんだい」と漁師。>「そうしたら、もう働く必要はない。毎日、のんびりとバカンスができる身分になれる」とビジネスマン。>「それなら、もうとっくにやってるよ」と漁師が答えたという。
本当に賢い漁師ですね。
>「病気を治したい」という目的も、「お金を稼ぎたい」という目的も、すべての目的にはその先にある、本当に叶えたい真の目的や夢がある。
これら全ての目的は、手段と呼ぶべきものですね。真の目的や夢は、’あるべき姿’ の内容ですね。手段の目的化が起こって、日本人はそれ以上進むことができない。多くの人が不毛の人生を送っています。
>何のために病気を治したいのか、病気を治したあとに何をしたいのか、あるいは、何のためにお金を稼ぎたいのか、お金を稼いだあとに何をしたいのか、ということ。
金は手段になる。だが、目的にはならない。真の目的を考えよう。さすれば、建設的な人生を送ることができる。理想的な未来の世界が待っている。
>目的の先にあるものを考えない人は多い。>「本当に大切なものは」>「心から好きなことは」>「本当にやりたかったことは」>常に、目的の先にあるものを考える人でありたい。
そうですね。我々には、’あるべき姿’ (things as they should be) が必要ですね。日本人も、無哲学・能天気ではいられませんね。
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