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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学習指導

2019-02-21 00:53:19 | 言語
>「進んで勉強する」「自分から挨拶する」。>親が描く「主体性のある子ども」は往々にしてこうしたイメージで、そこからはみ出したとたんに怪訝な顔に変わるという親御さんがほとんどではないでしょうか。

そうですね。親に言われたことを忘れずに励行する子供が、主体性のある子供と考えられているようですね。

> 【本当に主体的な子は、先生や親の気持ちなど忖度しないで突き進む】 >私が小学2年生を担任したときのことです。 >ある男の子が、夏休みに入ってすぐに宿題を全部片付けてしまいました。>「宿題を全部先にやってしまって、後は遊びまくる!」と決めたからだそうです。

意欲満々ですね。

>私はこの話を夏休み中の保護者面談のときにその子のお母さんから聞いたのです。>話をしている間、お母さんの顔はずっと曇ったままでした。>お母さんとしては「せっかく宿題を早くやってしまったのだから、宿題以外の勉強もさせたい」と思っていたのです。>それなのに遊びまくると宣言されて、嘆く気持ちのほうが強かったのです。

お母さんの判断は残念ですね。

>それを聞いて、私は「主体性のあるすばらしい子ですね。こういう子が、自分の人生を切り開いていけるのですよ」と言いました。

そうですね。それが正解ですね。

>この子は、「夏休みは遊びまくりたいから宿題をさっさと片付けてしまおう」とやる気に燃え、実際に片付けてしまいました。>これこそが主体性です。>主体性は、「こうしたい」「こうしよう」という意欲ややる気があるからこそ生まれてくるものです。

そうですね。意思のある人には、主体性がりますね。英米人を見習いましょう。

>親が自分の価値観を優先させ、「このようにさせよう」と働きかけても、主体性は育まれていかないのです。

そうですね。親の価値観で動いていては、子供が受動的な人間になるばかりです。

>今、教育改革の必要性が声高に叫ばれていて、学習指導要領も新しくなるのですが、その一番のテーマが「主体的な人を育てる」ということです。>これはとてもよいことだと私も思いますが、一つ心配になるのが「主体的」の意味を勘違いしている大人が非常に多いということです。

同感です。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。それで日本語の脳裏には未来時制がなく、日本人には意思がない。英語には時制がある。そして、英米人には意思がある。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない日本人は仕方ないので、無為無策でいる。この状態が我々日本人の問題ですね。
日本人には意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は、文章内容であるが、恣意はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) で存在するので意味がない。この恣意を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。これがわが国の精神主義である。この種の精神修行には、武道が用いられる。鍛錬により動作は機敏になるが、人はリーズン (理性・理由・適当) の持ち主にはならない。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>つまり、先生や親がやらせたいことを子どもが忖度して、それを進んでやってくれることを「主体的」だと思い込んでいる人が多いのです。

そうですね。忖度 (推察) は、その内容が聞き手の勝手な解釈ですから話し手に責任はありませんね。忖度は、議論の対象にはなりませんね。

>そんなものを主体的と呼んではいけません。>本当に主体的な子は先生や親の気持ちなど忖度しないで、自分がやりたいことを自分で見つけて自分でどんどんやっていく子なのです。

そうですね。同感です。日本人は、優柔不断・意志薄弱であるところが問題です。忖度も精神主義もその解決法にはなりません。そのことを認識していることが、我々の教育改革には必要ですね。



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